長岡百花繚乱の紀~『空花音楽祭』

 大林宣彦監督作品『この空の花~長岡花火物語』
 初日舞台挨拶レポートの中でも触れましたが、この作品には、のべ1,600名もの長岡市民がボランティアやエキストラとして携わりました。
 そんな、地元ボランティア&エキストラの“まち護りたち”から、様々な動きも産まれてきています。
 今日は、その動きの中から誕生した、ひとつのイベントをご紹介させていただきます。

 『第1回空花音楽祭』
 5月12日(土) 19時~21時
 アオーレ長岡市民交流ホールA
 (入場無料)

 
 長岡大学の軽音楽部やロケ地長岡のミュージシャン、そしてエキストラ仲間で結成したバンドによる手作りの音楽祭。劇中、久石譲さんの音楽も印象的でしたが、既に作品をご覧になった方は、ラストの大団円のシーンが思い起こされますよね。
 この音楽祭で演奏されるうちの一曲には、「ロケ期間中、左近倉庫にボランティアに行く途中、小雨が降ってメロディが浮かんで出来た」というオリジナル曲も披露されるそうです。

 5月12日は、東京や横浜での公開初日と重なりますが、長岡近辺の皆さんはもちろんのこと、有楽町スバル座での舞台挨拶は、午前10時40分の回上映後になりますので、終了後に梯子をしても十分間に合いますよ~。
 ちなみに、この『空花音楽祭』開催の話は、大林千茱萸さんのツイッターでも紹介されています。

 また、大林監督、伊勢正三さん、冨司純子さん、原田夏希さんが登壇予定の有楽町スバル座での初日舞台挨拶の前売りチケットは、下記サイトで好評発売中です。

 有楽町スバル座 http://www.subaru-kougyou.jp/movies/index.html#konosora

 皆さんでぜひ音楽の花を咲かせましょう☆



(りょう)  

2012年05月03日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート⑦

 また午後6時からは、『NSTスマイルスタジアムinアオーレ』の公開生放送が、大林監督や松雪さん、髙嶋さん、猪俣さんをゲストに迎えて行われました。
 番組の途中では、会場に詰めかけたエキストラ参加者に、ナビゲーターが舞台から駆け降りて突如インタビューするコーナーも。(実は、りょうもテレビに映ってしまったようです。。汗)
 テレビを通じて新潟県内の皆さんに向けて、監督やキャストの皆さんから、映画に込めた想いのメッセージが届けられました。


(本番前の仕込み中。本番の写真は掲載できないため、こちらの写真でご紹介します。)

 ひょんなことで、長岡で再会した恭子さんには、「あらっ、りょうさん」と、いつもながら神出鬼没で驚かせてしまいましたが、昨年9月のエキストラ参加以来、お会いできて嬉しかったです。また、大林監督からは、「このひと月が勝負だから」とのお話しもいただきました。今回は、上映時間の関係で、大手の配給会社を通していないので、新潟&長野の皆さんだけでなく、東京の皆さんも、5月12日のスバル座での公開まで待たずに、ぜひ長岡&新潟まで足を運んで、応援してください。

 まさに、いま創られるべくして創られたといえる本作。大林監督からの力強いメッセージが、スクリーンいっぱいに詰まっています。

 その後は、映画の公開初日を祝して、『この空の花~長岡花火物語』に参加したエキストラ有志『チーム“空花”スピリッツ(仮称)』で集まり、新潟のお酒を飲み交わしながら映画談義に花を咲かせました。




(アオーレ誕生祭にて販売されていた、『この空の花』公開を記念したオリジナルカクテル。日本酒の吉乃川がベースのカクテルです。)

 映画は映像作品として未来に残していけるけれども、エキストラの記録や込められた想いをどのように長岡発世界へと、そして未来へと紡いでいくべきか。記録集の作成や長岡花火大会でのメッセージ花火の打ち上げなど、熱い議論が交わされました。
 ひとつの映画のエキストラ有志が集まって、映画や古里を熱く語る場は、あえて外部の目から言わせていただければ、何物にも代え難い稀有で貴重なものです。まさにこの日、長岡魂&エキストラ魂を、しっかりと受け取らせていただきました。


(長岡のまちを鏡にした作品だけに、まちの歴史に絡めたロケ地めぐりなどの企画も良いかもしれませんね。)

 そして、この映画がなければ、決して出逢うことがなかったであろう縁を結んでくれた、大林監督と『この空の花~長岡花火物語』に感謝です。


(アオーレ長岡展示ブースの三尺玉レプリカには、大林監督のサインも)


(レプリカの中身…ではありません・笑)

 長野では、2007年の公開から4年間続けてきた『転校生さよならあなた』のスクリーン上映は、残念ながら昨年途絶えてしまいましたが、長岡市民の手で創られた『この空の花~長岡花火物語』を、これからも大切に育んでいただいて、25年、50年先も長岡で毎年上映し続けていただければと思います。
 そんな長岡の大切な“戦友”の皆さんには、21世紀長野映画の会・江守代表のこの言葉を贈りたいと思います。

 『クランクアップの日、いま、50光年の新しい星が生まれつつある。将来、子どもたちが天空を仰いだとき、ひときわ明るく、力強く輝く星があるとすれば、それはきっと、「転校生」という名前を持つ星に違いない。それはどんな時代だろうか。50光年の記憶が、時を縦糸に、人を横糸にして、「希望」を織り続けるだろう。人・家族のいとなみは生きている間のことだけではないのだから。』

 自分がエキストラとして参加した際もそうでしたが、よそ者である自分をいつも暖かく迎え入れてくれる長岡の皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
 この貴重な縁を、これからも大切に未来へと向かって紡いでいければと思います。

 この映画の誕生に寄り添った長岡の皆さん、そして、撮影中はたくさんのお世話になった長岡ロケなびの福島さま、映画『この空の花~長岡花火物語』の公開おめでとうございます。そして、ありがとうございました!



おわり

(りょう)  

2012年05月02日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート⑥

 さて、『アオーレ誕生祭』の事前の案内では、午後3時からアオーレ長岡内のアリーナにて『映画「この空の花~長岡花火物語」スペシャルイベント』があって、「映画の一部が再現されるかも?!」とだけ記されていたのですが、実は大林監督たちの当日のスケジュールが、T・ジョイ長岡での舞台挨拶の後も、新潟に移動して、ワーナー・マイカル・シネマズ県央にて11時10分の回上映後に、また、ユナイテッド・シネマ新潟でも15時50分からの回上映前にと初日舞台挨拶が続く形となっていました。ですので、アオーレ長岡には、どなたが登壇されて、どんなイベントになるのだろう…と不思議に思っていたのですが、舞台挨拶最後の大林監督&猪俣さんの告知で納得です。




(アオーレ誕生祭会場での映画『この空の花』PRブース)

 T・ジョイ長岡での舞台挨拶が終わり、午後3時からは、『アオーレ長岡』のアリーナ内に設けられた舞台において『映画「この空の花~長岡花火物語」スペシャルイベント』と題して、劇中でも素晴らしい一輪車の腕前を見せてくれていた、『豊田児童センター・一輪車クラブ』の皆さんによる一輪車の生演舞が行われました。その中には、もちろん猪俣南さんも。既に映画をご覧になられた方には、劇中、一輪車での演技は鮮烈でしたよね。

 ちなみに、名前は『豊田児童センター・一輪車クラブ』ですが、愛知県の豊田市ではなく、青森県弘前市を活動の拠点としているクラブで、小学校1年生から大学生・社会人まで、在籍しているとのことです。

 「私たちが長岡に来たのは、昨年の8月。とても素敵な映画に出演することができました。その思い出を6か月間、ずっと胸に掴みながら、この先行上映の日を迎えることができて、本当に嬉しく思います。長岡にお邪魔した時に、250人ものエキストラの皆さんが集まって、大雨の中を、さもお天気が良いような顔で何時間も座って待っていて、長岡の人たちの頑張る力に、とても感動しました。皆さんと一緒に同じ映画を創る仲間に入れていただいたことを、本当に心から喜んでおります。」と指導者の木村笑子先生の感謝の言葉から始まった舞台。この日の一輪車ショーでは、一輪車の乗り方や技の解説から、中学生以上の部、小学生の部、猪俣さんの個人演舞あり、総勢20名近くの出演者による10分間の大作ありと、約1時間、伸びやかな音楽に乗せて踊る、初めて生で見た一輪車の演舞は、まるでバレーやアイスダンスショーのような華麗さにうっとりとし、アリーナを埋めた満員のお客さんからは、感動で最後まで盛大な拍手が鳴りやみませんでした。


(猪俣さんの美しい個人演技。劇中や舞台挨拶のときとはまた違う輝きを放っていました。)

 それぞれの演舞の紹介をした木村先生によると、猪俣さんは、映画の撮影やキャンペーンなどで忙しく、最近はほとんど練習ができていなかったとのこと。それでも、長岡の皆さんに感謝の気持ちをこめて踊ったという演舞は、ノーミスで10点満点の舞台でした。
 演舞後には、「今日は見に来てくださり、ありがとうございます。私たちも、もう一度、長岡に来られて本当に良かったと思っています。まだまだ演技がありますので、お楽しみください。本当に今日はありがとうございました。」と挨拶をされた猪俣さん。
 3分程の演舞でしたが、息が上がっていて、一輪車の上は、かなりハードなことが分かります。映画の撮影では、人一倍、体力を消耗されたのではないかと思います。


(観客に挨拶する猪俣南さん)


(劇中でも登場した、のっぽの一輪車も。この一輪車に乗っているのは、劇中で乗られていた俳優のお兄さんだそうです。)

 そして、ラストは、今年3月の大会で披露したばかりという「新世讃歌」という名前のついた10分間の大作。「震災を初め様々なことがありましたが、『この空の花』に出演させていただいて、一回り大きくなった子ども達の姿を、どうぞご覧いただければ幸いです。」と演技の紹介する木村先生。

 デンマークでの世界大会で優勝経験もある猪俣さんを初めとする『豊田児童センター・一輪車クラブ』の演技を、生で、しかも無料で見ることができたのは、なんて貴重で幸せな時間なのでしょう。
 この日の演舞を観て、もっと一輪車に乗ってくれる人が増えてくれると嬉しいです、とのクラブの皆さんの想いもお伝えしておきますね。


(ラストの演技「新世讃歌」。豊田一輪車クラブ全員による見事な演舞。)

(りょう)

つづく  

2012年05月01日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート⑤

 さて、このワンダーランドの中で演じられた松雪さん。
 大林監督も思わず、
 「普通の劇映画だと、ここで泣きます、怒ります、というようなことがあって、やり易いのですが、この映画は、初めてのことを体験して、驚いたり納得したりする、受けの芝居だったので、演じる方は、大変だったろうと思います。」と労います。
 その労いに対して、
 「監督が描かれた世界が、毎日毎日、自分の想像力を遥かに超えるところで展開していくので、撮影現場に行くのが、本当に毎日ワクワクして、驚きの連続でした。キャラクターと同じように、常に新鮮に反応していくことを心掛けました。」と語る松雪さん。
 「現場の中ではきっと、「私、ここで芝居をしたのかしら」みたいなね。実は、これは普通の女優さんでは、なかなか出来ない役なのですね。映画が出来上がってみると、「さすが松雪泰子はすごいなぁ」と思いました。皆さんもそうですよね。」との監督の投げかけに、大きな拍手が沸き起こる会場。
 松雪さんも、「大林組にまた呼んでいただけるのであれば。」と話されていたので、次回作にも登場、なんてこともあるかもしれませんね。


(平潟神社)

 さて、実は、本作のパンフレットの中には、髙嶋さんが演じた健一と松雪さんが演じた玲子の手紙が掲載されています。
 監督は、このことにも触れて、パンフレットを手に取りながら、
 「このふたりは、玲子と健一に成り切って、手紙のやり取りをしてくれていたのだそうです。みんなそうやって役作りをしてくれたということで、僕は演出をする必要がないぐらいやってくれていて、映画が終わった後も、玲子と健一のままで、ここに手紙が載っているんですよ。これは素晴らしい手紙だったね。僕は感動しました。俳優が役に成り切ってくれたら、演出は何もしなくて良いのです。今回は、楽な演出でしたよ。」と感激されていました。
 「劇場内で絶賛発売中です。」と宣伝する髙嶋さん。
 監督にも内緒で書いたという、『この空の花』の終わったちょっと後の、玲子(松雪さん)と健一(髙嶋さん)ふたりの想いを綴った手紙が掲載されたパンフレット。皆さん、映画を観に行った際は、ぜひお手に取ってみてくださいね。




(平和の森公園)

 そして、映画初出演にして大林組の一員となった猪俣さん。ベテラン俳優に囲まれての撮影について感想を聞かれて、
 「撮影の毎日が緊張して、不安で仕方がなかったのですけれども、監督に1から指導していただいて、他の支えてくれるスタッフさんや応援してくれている友達や家族に励まされながら一生懸命頑張りました。」と、しっかりした声で自分の想いを伝えます。

 さて、猪俣さんは、現役の大学生で、パンフレットでは数学とありますが、実際は地学を学ばれていて、将来は、理科の先生になるのが夢だそうです。
 そこで、司会者から、これからも女優業を続けるのかを聞かれると、
 「まだ学生なので自分のできる範囲で、またこのような機会がありましたら、続けていけたら良いなと思っています。」と答える猪俣さんに、
 「やっぱり女優さんになりたいの?」と返す大林監督。
 「あの…」と迷ってしまった猪俣さんに、「検討中だそうです」とすかさずフォローを入れる司会の藤井さん。

 話しは尽きない舞台挨拶でしたが、「大林監督にこれ以上質問をすると、あと30分や1時間は時間がかかってしまいそうですので」との司会者の笑い話もあり、地元長岡での舞台挨拶は、これにて終了となりました。



 舞台から降りる前に、「南ちゃん、今日は何時からだっけ。」と猪俣さんに語りかける大林監督。
 「3時からです。」と答える猪俣さんに、「3時からアオーレ長岡のアリーナでね、南ちゃんや一輪車軍団たちの一輪車ショーがあるのね。だから、何て言うんだっけね。」

 「……そこでアオーレ。」

 と自ら先にネタをばらしてしまう大林監督。
 「監督が先に行ったら駄目ですよ」と司会者からのツッコミも(笑)

 仕切り直して、猪俣さんから
 「アオーレで、会おうレ!」との掛け声に、

 「カット、OK!」との声で応える大林監督。

 …ということで、猪俣さん渾身のダジャレも飛び出しましたが(笑)、新生長岡の記念日となるであろうこの日、4月1日に開館したばかりのアオーレ長岡でも『アオーレ誕生祭』と称した施設のオープン記念イベントが開催されていました。会場では、ところ狭しとフリーマーケットや長岡のご当地グルメを扱った露天が数多く出店し、またアリーナに設けられた舞台では、AKB48ならぬご当地アイドルY.O.Yのライブありと、多くの来場者で賑わいを見せていました。



 この『アオーレ長岡』は、アリーナやナカマド、市民交流ホール、市役所が一体となった全国初の複合施設で、皆が集う、市民協働・交流の拠点として建設されました。旧厚生会館の木材を活用したという木の温もりと吹き抜けがとても心地よい施設です。


(アオーレ長岡)

(りょう)

つづく  

2012年04月30日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート④

 また、本作『この空の花~長岡花火物語』は、2時間40分という上映時間もさることながら、これまでの大林映画とは、また違った趣の作品に仕上がっています。手法的には、セミドキュメンタリー形式と言えるでしょうか。この点について、司会者から聞かれた監督は、
 「野心作と言うよりも、これは映画にならないと思いました。今も映画を創ったという感じではないんですよ。だって、こんな映画、初めてご覧になったでしょう。僕も初めて創っちゃったし。普通、映画にしようとすると、話を少し絞って創りますから、これを普通の映画にしようと思ったら、今日皆さんがご覧になった情報量の10分の1入るか入らないかぐらいなのですよ。ところが、3月11日の震災を受けて、長岡で私が体験したことの全てを、世界中の人に知ってもらわなくてはいけない、これを全部映画にすることは無理だけれども、僕は、例えば、今回も学生さんがたくさん手伝ってくれましたが、大学で教授をやっているときの学問が、映像社会学というのですよ。映画は、単に映画が好きな人間だけが見るのではなくて、昔、『映画は学校』と言われて、映画は、学校では学べない社会のことや、人生のこと、色々なことを学ぶ場所だった。そういう映画に、僕たちは育てられた人間だから、ここでもう一度、映像社会学というもので、この映画を語ったらどうなるだろうか。」
 話にあるとおり、大林監督は、尚美学園大学大学院の芸術情報研究科・情報表現専攻で教鞭をふるわれています。
 「映画監督が創った映画よりも、映像社会学の先生が映像を使って、この長岡の物語を、ファンタジーあり、ドキュメンタリーありという、映画の形にこだわらずに描かなければ、この感動は伝えられないと思い、それで、こんな型破りの劇映画というよりも、何かエッセイみたいな、あるいは寓話みたいな映画ができました。そう言って褒めてくださる方もいるけれども、これはやはり長岡との出逢いと、そして3月11日を受けたことで、この新しい映画を創ってしまった。だから、おそらく皆さんも、今日1度ご覧になっただけでは、あそこはどうだったかな、ここはどうだったかな、と整理がつかないと思うのですが、むしろこのワンダーランドの長岡の中で、迷子になって欲しいのです。そして、迷子になった中から、ポンポンと頭に残ったもの、心の中に残ったものについて考えていくと、段々とそこから色々なことが繋がって、物が見えてくるという、本を読むような気持ちで、この映画と向き合ってもらえたらと思います。私も、8回観てようやく、「おお、分かってきたぞ」という感じですから。ただ、嬉しいのは、皆さんが、何だか分からないけれど涙が出ちゃったということ。これが大事で、パンフレットにも書いてありますが、脳科学者の茂木健一郎さんが、人は脳が追い付かないときに感動するのだと。脳が追い付くと、分かったと感心してはもらえるのですが、脳が追い付かないから感動する。ですので、脳が追い付かない映画を思い切ってこしらえてみようと思いましたので、長岡魂は1回や2回では、理解するのは難しいかもしれませんが、それをひとつひとつ、みんなで語り合うことで、この映画が益々深く、面白く見えてくる。そういう映画が出来たのではないかな、と思っております。」

 観るたびに色々な気づきがある本作。長岡の皆さんは、公開初日にして、既に試写会も含めて3回目、4回目の鑑賞という人も!
 皆さん、ぜひ1度と言わず、何度でも足を運んで、ワンダーランドの世界を巡ってくださいね。


(信濃川河川敷)

(りょう)

つづく  

2012年04月29日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート③

 大林監督からは、「長岡魂を発信する仲間」とのお言葉も出ましたが、先にも書いたように、この映画には、のべ1,600人をも超える一般市民が関わっています。
 その市民エキストラとの共演について、髙嶋さんは、
 「パンフレットの方にも書きましたが、映画撮影の数か月前に衣装合わせで東京の日活撮影所まで行きまして、そこで、どれを着ようかと悩んで、監督に「どちらが良いですか」と尋ねたところ、監督が「どっちが良いとかじゃないんだよ。これは、セミドキュメンタリーなのだから、片山健一、君が何を着たいかなんだよ。だから、僕に聞くのはおかしい。」と言われて、自分はもうここで痺れて、これは、この空の花、この片山健一という役を、演じるのではなくて、もう長岡、山古志、この辺りで生きなくてはいけない、ということで、現地に入りました。それ以来、長岡で、皆さんにはボランティアやエキストラで参加していただいたのですが、この人たちをエキストラと思ったことはないです。全員が同じ、普段俳優という仕事をしている人も何もない、『この空の花』というこのひとつの作品というか、大きな船というか、この映画自体が大きな花火ですね。だから、誰がどうとかいうことはなかったのですが、その反面、ここ長岡で協力してくれた、いわゆる俳優ではない人たちの生のリアクションの素晴らしさに、もう毎回感動していました。それを、自分も何とかそこに入り込んで、そこで自分も生きなくてはいけないという、そんな思いでやっていました。本当に、皆さん素晴らしかったです。ありがとうございました。」
と感謝の言葉を述べられています。

 りょうも、旧島田小学校などの撮影現場で、俳優の尾美としのりさんとご一緒させていただきましたが、非常にエキストラに気をかけていただいて、撮影中や撮影の合間など、壁を作らず、同じ仲間として、気さくに話しかけてくれたことが、特に印象に残っています。まさにみんなで創った作品です。


(旧島田小学校)

 そして、髙嶋さんの心意気は食の域にも。長岡の食について聞かれた髙嶋さん、
 「長岡の食は最高ですよ。まず駅から泊まっていたホテルまで歩いていくと、いっぱいお店があるのですが、そこからちょっと行った、ちゃんぽんの長崎亭、後は3回も行ってしまった青島食堂、そして、炎天下の日、駐車場まで並んで2回食べたのが、いち井ですね。他にも色々なラーメン屋、それから居酒屋、後は、フレンドのイタリアンも食べましたし、これが不思議でして、焼きそばに、ミートソースがかかっていて、チーズが乗っかっているじゃないですか。何だこれ、と思うのですけれども、食べると何か、昔食べたような、ラザニアみたいな味がして、懐かしい気持ちになりましたね。そして、付け合せが餃子という、何とも不思議な、不思議なんだけれども、癖になる。もう長岡最高です。後、お酒です。越乃景虎、極上吉乃川、もう上げたら切りがないですが、もう大ファンになりました。」

 これには、大林監督も
 「あのね、あの忙しくて時間のない撮影中に、良くもこんなに食べてたなぁ、と思ったんですよ。」
と、呆れられているのかと思うと…、

 「そうしたらね、そうじゃないんです。撮影がないときにも現場に来て、そして、食べて、この長岡の里の人間になろうと努力してくれていたんだよね。」と、髙嶋さんの姿勢に感嘆する大林監督。


(町中の商店街もお祝いムード一色)

(りょう)

つづく  

2012年04月28日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート②

 それでは、物語を初日舞台挨拶の模様に戻すことにしましょう。
 本編2時間40分間の長岡ワンダーランドの世界への映画の船旅が終わり、興奮覚めやまない会場からは、満開の拍手の花が咲く中、大林宣彦監督、遠藤玲子役の松雪泰子さん、片山健一役の髙嶋政宏さん、元木花役の猪俣南さんの4人が登壇されます。
 レポートの中で、ロケ地の写真もいくつかご紹介していきますね。

 登壇される際には、純白のスクリーンに向かって、“アイ・ラブ・ユー”のサインを贈る大林監督。監督の「ただいま」のひと言に、劇場内からの「お帰りなさい!」の声から始まった舞台挨拶は、まずは、4人からひと言ずつ頂戴しました。


(エキストラ参加者に配付された、記念の“アイ・ラブ・ユー”ピンズ)

○ 松雪泰子さん
 「今日は初日にありがとうございます。観てくださった皆さんの熱気が、まだこの空間に残っている感じで、凄く興奮しています。」

○ 髙嶋政宏さん
 「こんにちは、髙嶋政宏です。この映画を通じて、長岡は僕の第二の故郷になってしまいました。今日は戻って来られて最高に嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。」

○ 猪俣南さん
 「今回、映画に初めて出演させていただきました猪俣南と申します。今日は、撮影を終えてから何か月かぶりにこの長岡に戻って来られて、本当に嬉しいです。今日はありがとうございました。」
 いつもとは違う雰囲気のステージに、少し緊張気味の猪俣さんです。

○ 大林宣彦監督
 「昨日の東京は、もう春の陽射しで、満開の桜に見送られて、新幹線に乗りました。国境の長いトンネルを越えて、今朝はホテルの窓から見事な雪を見ました。レストランに降りると「この雪は、長岡風の歓迎の雪なのです」と言われました。そして、ブログを見ていたら「この雪もまた、空に咲く花ですね」という言葉を見つけ、とても感動しました。普通は、どちらに伺っても、こういうことがあると「生憎の雨」となるのですが、ここでは「生憎」ではなくて「歓迎」であったり、「空に咲く花」だと言うのですね。実は、雪と一緒に暮らしているから、このように言えるのですね。この「生憎」を「恵み」に変える力が、文化の力だし、その心が魂なのですね。今度はまた、長岡の冬の魂を映画にしたいなぁ、と今日はそんな気持ちです。」

 思わぬ続編の話も飛び出し、すかさず「監督には、また長岡に何度か足を運んでいただけるということですね。」と返したのは、この日の司会進行役、長岡まつり協議会実行委員長の藤井さんです。



 また、続けて、大林監督からは、映画の完成にあたり、長岡市民へのメッセージとして、
 「皆さんには、いま映画をご覧いただきましたが、金太郎飴はどこを切っても金太郎飴ですが、この映画は、どこを切っても長岡魂なのですね。そして実は、この映画を創ったちょうど去年の今頃、山古志の麓でこのシナリオを描いているところだったのですが、去年の3月11日、日本中の我々表現者は、何を表現したら良いのか分からなくなって、もう心の中のスクリーンが真っ白になっていたのです。その時に、唯一表現をしていた人たちがいましたね。それは、東日本の被災地の方たちです。ご自身が一番辛くて苦しいのに、「私よりもまだ苦しい人がいるから」と、愚痴は言わないで他人を思いやる。そして、たくさんの支援を受けて、それに恩返しをするためにこの里を復興させます、と。これこそが正に、日本人の美しい姿を私たちに表現してくださって、世界中の人が感動しましたし、私たち日本人も、「ああ、これが本当の日本の美しさだな」と思ったものです。そして、そのときの私は、この長岡の花火に込められた映画のシナリオをほとんど書き上げていたのですが、この映画こそは、今年、いま創っていかなくてはと想い、これからの日本を再生するヒントが、この長岡魂、この花火の物語の中にあると意を起こして、この映画を撮ろうと思い立ちました。この映画のことを日本中の人が、そして世界中の人が、見つめてくれています。日本がこれから美しい人間的な復興を遂げるためには、正にこの映画に込められた、物や金だけじゃない、効率だけじゃない、本当にこの古里を愛して、この古里を穏やかな里にしようという若い人たちを育てることこそが、復興再生だと、そういうことを、世界中の人たちが見守ってくれています。だから、この映画を世界中に発信する、その原動力として、この長岡の映画館の、この長岡の観客の皆さんの熱さが、日本中、世界中の観客の皆さんに伝わって行きますので、どうか皆さんも観客ではなく、この長岡魂を発信する仲間として、一緒に作品を送って、育ててもらえたらと思います。本当に皆さんおめでとうございます。ありがとうございました。」
とのお言葉をいただきました。


(T・ジョイ長岡劇場内には、ロケの模様を紹介した特設ブースも)

(りょう)

つづく  

2012年04月27日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

長岡百花繚乱の紀~映画『この空の花』公開初日レポート①

 この『転校生さよならあなた日記』でも、何度かご紹介した大林宣彦監督の最新作『この空の花~長岡花火物語』。

・2010年12月24日付け日記『大林宣彦監督最新作「この空の花」(仮)公式サイト』

・2011年4月1日付け日記『大林宣彦監督作品をみんなで観る上映会』

 全国公開に先駆けて、いよいよ先日4月7日土曜日から、新潟県内で先行ロードショーが始まりました。



 『市井の人々の勇気と祈りで平和を創り、何度でも蘇り、復興を遂げてきた町、長岡』を舞台とした本作。長岡の町は、戊辰戦争、太平洋戦争における長岡空襲、そして、平成16年10月の新潟県中越地震と、まさに長岡花火で打ち上げられる“フェニックス花火”の名のとおり、その度ごとに危機を乗り越えてきました。



 この映画のメインモチーフとなっている長岡の花火は、放浪画家・山下清画伯の貼り絵になっていることでも有名な花火大会で、毎年8月2日・3日には、多くの観光客が長岡を訪れます。りょうも、かつてはそんな観光客のひとりとして、長岡花火を観に訪れたことがあります。ですが、この映画『この空の花~長岡花火物語』を通じ、観光ではない、長岡花火に託された本当の意味を知ることで、また新たな気持ちで、長岡花火を観ることができるようになることでしょう。


(JR長岡駅前のモニュメント)

 この作品のロケ地でもある新潟県長岡市では、4月7日午前9時からのT・ジョイ長岡での第1回目の上映後に、初日舞台挨拶が行われ、大林宣彦監督、主演の松雪泰子さん、髙嶋政宏さん、ヒロイン猪俣南さんの4人が登壇されました。

 『この空の花~長岡花火物語』では、のべ1,600人もの長岡市民を初めとする一般の人たちが、ボランティアやエキストラで参加しています。初日舞台挨拶が行われた、379人の収容力を誇るT・ジョイ長岡10番スクリーンには、この作品に参加した“戦友”たちが集まり、超満員。その中には、エキストラとして参加した、りょうやしげぞーさんも(笑)


(T・ジョイ長岡)

 さて、『この空の花~長岡花火物語』の誕生秘話は、長野の『転校生~さよならあなた』と、非常に良く似ています。
 長野の『転校生~さよならあなた』は、江守代表を初めとする七人の侍たちが、東京の大林監督の事務所を訪れて「50年後の長野の子どもたちに見せたい映画を創ってほしい」との想いを直談判したことで産まれました。そして、長岡の『この空の花~長岡花火物語』は、「長岡映画」製作委員会代表の渡辺千雅さんが、大林監督の叙勲を祝う『大林さん、次の映画はまあだ会』の会場で、大林監督に「長岡花火の映画を創ってください」と直訴したことが始まりだそうです。

 長野の『転校生さよならあなた』は、映画の最後に「人は誰も、生きて、その物語を残す。人の命には限りがあるが、物語の命は永遠だろう。未来の子供達よ、今も元気で暮らしていますか。」との監督からのメッセージで締めくくられます。そして、長岡の『この空の花~長岡花火物語』は、冒頭「未来を生きる子供達へ 過去を生きた大人達から 今、この映画を贈る」とのメッセージで物語が始まります。同じ“長”という漢字を持つふたつの里が、しっかりと想いのバトンタッチをして、長く次世代に伝え、残そうとしていることが分かります。

 長野の『転校生~さよならあなた』が「路地裏映画の傑作」だとすれば、長岡の『この空の花~長岡花火物語』は、「里気づき映画の傑作」と言えるのではないでしょうか。

 そして、忘れてはならないのが、『この空の花~長岡花火物語』では、我らが蓮佛美沙子さんが『転校生~さよならあなた』以来、大林監督作品に帰ってきてくれたことです。

 「お帰りなさい、蓮ちゃん!」

 蓮佛さんが、どんなシーンで登場するのかは、ぜひ皆さんご自身の目で確認してみてくださいね。
 他にも、森田直幸さんを初め、寺島咲さんや厚木拓郎さんなど、『転校生~さよならあなた』に縁の深い大林組オールキャストが登場されています。

 4月7日、訪れた長岡は、すっかり雪化粧。空からは、長岡花火ならぬ雪の花が舞い降りていました。4月の積雪は、雪国の長岡でも珍しいそう。『この空の花~長岡花火物語』の公開に合わせた、神様からの贈り物のように思えました。


(T・ジョイ長岡外観)

(りょう)

つづく  

2012年04月26日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

映画『RIVER』初日舞台挨拶⑤

 この後は、マスコミ向けのフォトセッション。大規模な商業映画のように、来場者に記念品を配って一緒に写る、というようなことはなく、静かなスチール撮影となりました。
 皆さん固い表情に、「もうちょっと笑顔をいただけますでしょうか」との声も。

 そして、最後にキャストを代表して、蓮佛さんからメッセージを。
「先ほど、監督もおっしゃっていましたが、ちょうど約1年前、震災の起こった2週間後に撮影を始めて、当時、今でもそうですけれど、当時はこの作品に携わった全ての人が、何が正解か分からないながらも、本当に、今、撮らなければいけないもの、今、伝えて、残しておかなくてはいけないものがあるはずだ、という強い想いで撮った作品です。本当に、今日観てくださった皆さんの中に残ったものを、流さずにというか、心の中に留めていただいて、思い返していただくというか、何かを考えるきっかけになってもらえる作品になってくれて、残っていってほしいなという想いがいっぱいです。本当に、今日はありがとうございました。」

○ 蓮佛さんの詳しいインタビュー記事はこちらにも
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2008238/

 続いて、廣木監督から。
「先ほど言ったとおり、僕自身も、あの場所に立って、色んなことを考えて、ユウキチもその場所に行って、色々な想いが集まっているので、この映画を観ていただいて、本当に、今の状況とか、自分の状況を考えながら観るという映画があっても僕はいいな、と思っているので、毎年、2度3度やっていただけると、また来年も、こうやってみんなと会えるので、ぜひともお願いしたいです。今日は本当にありがとうございました。」

 秋葉原殺傷事件と東日本大震災、それぞれの事件には、実際の被害者が多くいるという難しい状況とデリケートな役どころを見事乗り越えた蓮佛さん。一流の映画女優としての心の強さを垣間見た感じです。
 期しくも震災から1年を迎えようとする前日に公開できたことに、感慨深そうな廣木監督と蓮佛さんでした。

 さて、『RIVER』の初日舞台挨拶が行われたユーロスペースのビルには、以前、この転校生日記で紹介した『深谷シネマ物語』を制作した映画美学校も入っていて、ビル全体にアート系を中心とした小さな劇場が集まっている、そんな建物です。上映後は、劇場ロビーにて、廣木監督が、来場者一人ひとりに丁寧にサインを書きながら、触れ合う時間もありました。
 自分も、パンフレットにサインを書いていただきましたが、『余命1ヶ月の花嫁』や『雷桜』などの大作も手がけている監督ですが、とても物腰が柔らかく、気さくな方で、一度でファンになってしまいました。



映画『RIVER』、できるだけ多くの方の心の中に届けばと思います。

(りょう)  

2012年03月25日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

映画『RIVER』初日舞台挨拶④

 さて、『RIVER』では、冒頭の15分間、秋葉原をさまよい歩く蓮佛さんを長回し撮影したシーンも見どころのひとつです。
 通常、映画やドラマの撮影では、通行人はエキストラ、ということが多いと思うのですが、作品を観ていただくと分かりますが、途中、何だろうとキャメラの方向に振り返る通行人がいたりと、蓮佛さんが一般の人に混ざった中で、いわゆるゲリラ撮影が行われています。
「長回し自体が、そんなに経験がなかったですし、15分って本当に長くて、しかも最初はずっと歩いているだけというので、初めは一番最後でセリフを間違えたらどうしようと凄く怖かったのですが、ひかりとして秋葉原の街を歩いてみたら、自然と気持ちがぶわっと出てきたので、このシーンは初日に取ったのですけれども、これが初日で本当に良かったなという、あれで自分の中にひかりが掴めた感じがしたので、凄く印象的でした」
と話す蓮佛さん。
 撮影の日に、たまたま秋葉原にいたら、蓮佛さんと共演、なんて嬉しいサプライズもあったかもしれませんね。

 余談ですが、『RIVER』では、手持ち撮影を多用しているようで、特に冒頭の秋葉原のシーンは、画面がもの凄く揺れます。乗り物酔いをしやすい方は、注意が必要かもしれません。

 また、この作品には、冒頭で申し上げたとおり、秋葉原殺傷事件と東日本大震災の2つのモチーフが込められていて、実際に震災後の南三陸町で撮影されたシーンも登場します。
 実際に被災地に立たれた感想を聞かれた小林ユウキチさんは、
「本当に、うーん…、嘘みたいな、バーチャルみたいな、ゲームの世界に自分が入ったような感覚で…、凄く、怖かったです」
と、ひと言ひと言を絞り出すようにゆっくりと語られていたのが、心に残りました。
 被災地のシーンは、りょうも震災後に被災地派遣で釜石市と陸前高田市の惨状を目の当たりにしているので、どうしても特別な感情に襲われてしまいます。

 そして、被災地南三陸町での撮影に同行した廣木監督からは、
「僕らが本当にこの映画を準備しているときに、東日本大震災が起こって、映画自体も中止にするかしないかということも、スタッフや周りなどで、いまこんな時期に、こんな映画を、ということは、皆が思っていたことで。ただ、僕らは、やはり映画の準備をしていて、いま映画を撮ろうとしているというときに、逆に、現実に起こったことに、ただ待っていても、目をそむけても、という気持ちがあって、撮れるかどうか分からない中、とりあえず現場に行って、どんな気持ちになるか、と思って行ったので、今は本当にその場所に立てて良かったなという気はしています。」

 また、「この作品が、東日本大震災から1年の1日前に公開されるという、そのお気持ちもお伺いしたいと思うのですが」と司会者から聞かれて、
「毎年やってほしいと思います。辛いこととか記憶は、どんどん薄れていくだろうし、僕自身もそうだろうなと思うし。ただ、そのときの気持ちというのは、きっとこの映画の中に映せたと思っているので、3月になったときには、毎年やってほしいぐらいです。観てくれる人がいればですけどね。」
 こう話す廣木監督の隣で、蓮佛さんが大きく頷いていたのが印象的でした。


(ビル内には、ユーロスペース以外のミニシアターも)

(りょう)

続く  

2012年03月24日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

映画『RIVER』初日舞台挨拶③

○ 尾高杏奈さん
「まりあ役をやらせていたただきました、尾高杏奈です。今日はありがとうございます。今回は、ギャルの役ということで、人生で初めて髪の毛を金髪に染めたという、そういう役作りをしました。撮影は、私も1日だけの撮影だったのですが、本当に、廣木監督とお仕事ができて、廣木組に参加できて嬉しいというか、本当に良かったなと思っています。ありがとうございます。」

 司会者の女性から、金髪にした感想を聞かれた尾高さん。
「朝とか鏡を見たら、凄い違和感がありました。何か髪の毛が違うなって。やっぱり黒がいいなって、しっくりきますね」と劇中とは全く違い、清楚で日本人的な感じの尾高さんでした。

○ 小林優斗さん
「小林優斗です。僕は、現場でセリフや役名を廣木さんに言われたのですが、先ほどパンフレットを見たら、言われていた役名と違っていて、カメラを回す前に監督からは「優斗はジュント君ね」と言われて、ジュント君のつもりでやっていたのですが、パンフレットを見たら、びっくり。」
と、パンフレットを見ると、“クリス”と(笑)
 突然の小林優斗さんの暴露話に、「名前を変えたことは、全然覚えていないです」と茶目っ気たっぷりな廣木監督。

 司会者から「アートスペースでの、凄く印象的なシーンでしたが、実際に演じられていかがでしたか」との質問には。
「好きなことを話してくれ、と言われたので、ゲームのことだとか自分で考えて、じゃあ母親がいないことにしようと思って、話していたのですが、1回カットされて、母親は居てもいいやというような感じで、それは凄く覚えています」
と場内大爆笑。
「台本は、一応あったのですが、こんな感じで、アドリブというか、色々と好きなことを話して、みたいな。だから、出来上がった映像を観ると、何かNHKで見たことがあるような対談番組のような感じだなぁ、と思いました」と話す小林優斗さん。対談シーン(笑)、皆さんぜひ注目して観てくださいね。


(ユーロスペースの入るQ-AXビル)

○ キンカさん
「初めまして、Quinka,with a Yawnという役で歌を劇中でも歌わせてもらいましたQuinka,with a Yawnと言います。普段は、都内のライブハウスとかでライブをしているのですが、今回は初めて映画音楽を作らせていただきました。冒頭の蓮佛さんが15分秋葉原を歩くという長いシーンなのですが、廣木さんがもの凄く音楽制作のときも優しくて、的確に指示を出していただきました。私も、自分の作った音楽が、こういう風にスクリーンで流れるというのは、本当に廣木組に参加できたことも含めて、光栄なことだと思っています。ありがとうございます。ちょうど劇中でもハルニレという曲をやらせていただいたのですが、路上ライブという形で、それも本当に演技は全くしていなくて、自分の中にあるハルニレの気持ちをそのまま歌って、それを蓮佛さんが受け取ってくれて、その後の会話のシーンも全部アドリブというか、私的にはアドリブだったのですが、蓮佛さんもアドリブで…。本当に凄く勉強になったというか、ありのままの私も蓮佛さんも出ていたと思うので、貴重なシーンだったんじゃないかなと思います。本当にありがとうございます。」

 話すトーンが、劇中と全く変わらないキンカさん。まさに劇中は、“素のまま”だったのですね。

「台本に全部書いてあったでしょ」と返す廣木監督に対して、「質問しか書いてなかったんですよ」と返す蓮佛さんに「そうそう」と呼応するキンカさん。
 蓮佛さんがストリートミュージシャン役のキンカさんと語るシーンの自然さは必見です。

○ megさん
 megさんは、ジャズシンガーで、映画主題歌の「Moon River」を歌われています。
「ムーンリバーは、私のスタンダードの中でも特に大好きな曲で、今回、廣木監督からオファーをいただき歌わせていただいたのですが、実際に脚本を読ませていただいて、映画も拝見させていただいてからのレコーディングだったので、非常に、想いがあふれてきて、蓮佛さん演じる主人公の女性が、傷みや悲しみを乗り越えて、前に歩き出す姿に、少しでも自分の歌が、力になればいいなというような思いにあふれて歌わせていただいて、本当に貴重な経験をさせていただきました。」

(りょう)

続く  

2012年03月23日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

映画『RIVER』初日舞台挨拶②

 エンドロールが終わり、場内拍手が鳴りやまない中、司会者の女性が、一人一人の名前を呼びかけ、監督&キャストの皆さんが、スクリーン横の扉から登壇されます。舞台挨拶では、有線マイクを何本も使っていたので、それを手に持って登壇しようとした皆さんのマイクのコードが舞台上でこんがらがってしまうというちょっとしたハプニングも。

 檀上に勢ぞろいした監督&7名のキャストの皆さん。それぞれの自己紹介と撮影で印象に残っているエピソードをひと言ずついただきました。
 一人ずつ、順番にご紹介していきますね。

○ 廣木隆一監督
「今日はありがとうございました。本当にこの1年で色々なことがあったので、早かったです。この時期に映画が公開されるというのは、非常に感慨深いものがあります。どうもありがとうございました。」


(来場者にサインをする廣木隆一監督)

○ 蓮佛美沙子さん
「皆さん、今日はお越しくださってありがとうございます。ひかり役をやらせていただきました蓮佛美沙子です。撮影は、私自身、題材が題材ということもあって、戸惑いだったり葛藤だったりというものを抱えていたので、今日は「あっ、初日なんだな」とホッとしている気持ちが強いです。撮影で印象に残っていることは、取材などでもお話しをさせていただいていますが、現場での廣木監督が、本当に私の心が動いているかどうかを常に見ている監督だったので、いつ怒られるんじゃないだろうか、ということをドキドキしていました。いつもだったら、お芝居の計算とかをしながら構成して芝居をしてしまうのですが、そういうものを削ぎ落としてやっていくというのが、凄く初心に帰れたつもりで、新鮮でした。それが凄く印象に残った現場でした。」

 久しぶりに逢った蓮佛さん、昔と変わらず、くりっとした大きな瞳が、ライトに反射してキラキラと輝いていて、思わず吸い込まれそうになってしまいました。
 この日の蓮佛さんの衣装は、ベージュ地の花柄をあしらった膝丈上のワンピース。蓮佛さんの透き通った感じが、より映えていました。でも、紫色のソックスにヒール靴と、21歳の蓮佛さん、少し大人っぽくなったかな。
 廣木監督と話すときの蓮佛さん、心から楽しそうな笑顔をされていたので、本当に良い撮影現場だったんだろうなぁ、ということが想像できます。

○ 小林ユウキチさん
「佑二役の小林ユウキチです。印象に残ったシーンは、菜葉菜さんです。撮影の前に僕と菜葉菜さんとスタッフで、アキバに行って、メイドカフェに行ったのですが、菜葉菜さんが、「私、無理だと思う」と当初は言っていたのですが、実際、現場ではバッチリやられていて、女優さんは凄いな、という記憶があります。」

 ちなみに、メイド姿は、菜葉菜さんだけでなく、蓮佛さんのメイド服姿も、本作では見ることができます。蓮佛さんが、本当にメイド喫茶にいたら、毎日通ってしまうかも(笑)

○ 中村麻美さん
「カメラマンの沙紀役の中村麻美です。今日は雨の中、本当に足元の悪い中、お越しくださいまして、誠にありがとうございます。私の印象と言っても、1日だけ参加した感じなので、本当に冒頭のシーンだけなんです。長回しで、中々、蓮佛さんがいらっしゃらないという、寒い中、凍えながら待っていたというのが、一番印象的でした。でも、廣木さんとは、何作もやらせていただいて、本当に楽しい現場でした。ありがとうございました。」

(りょう)

続く  

2012年03月22日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

映画『RIVER』初日舞台挨拶

 東日本大震災から1年目を迎えようとする3月10日(土)、渋谷ユーロスペースにおいて、蓮佛美沙子さんが主演された映画『RIVER』の初日舞台挨拶が行われました。

 2008年の秋葉原殺傷事件と昨年の東日本大震災をモチーフにした本作品。撮影準備期間中に、東日本大震災が発生し、映画の撮影を続行すべきか、廣木監督も蓮佛さんも、非常に迷われたそうですが、廣木監督ご自身が、被災地福島県のご出身ということもあり、秋葉原の事件に東日本大震災のエピソードを加える形で、震災2週間後にはクランクインを決行されたという本作。
 当日は、両事件で犠牲となった人たちを鎮魂するかのような雨が降る中での初日となりました。

 蓮佛さんの長編映画の主演作品は、このブログの生みの親、大林宣彦監督作品『転校生さよならあなた』以来となりますね。『RIVER』パンフレットのイントロダクションの中で、蓮佛さんについて、「主演は、大林宣彦監督『転校生さよならあなた』(07)の主役に抜擢され、その期待に見事応えて高崎映画祭最優秀新人女優賞に輝いた蓮佛美沙子。難役に果敢に挑み、上手すぎると監督に言わせるほどの芝居巧者ぶりを披露、繊細で凛とした主人公を瑞々しく演じきっている。」と紹介されています。
 また、本作品には、『転校生さよならあなた』で、蓮佛さん演じる一美のお父さん役だった田口トモロヲさんや蓮佛さん演じるカズミを最初に診断した町医者役をされていた根岸季衣さんが蓮佛さんと同じシーンで再共演を果たされているのも見どころの一つです。



 スクリーンやドラマの中で蓮佛さんと逢えるのも十分嬉しいことですが、りょう自身、直接の場で蓮佛さんと逢うのは、一昨年9月の映画『君に届け』の初日舞台挨拶以来ということで、この日の再会をとても楽しみにしていました。
 舞台挨拶は、午後0時30分からの回上映終了後に行われましたが、この日のチケットは、当日売りのみということで、久しぶりの蓮佛さんとの再会を楽しみにしていたりょうは、開場2時間前には劇場に到着して、マスコミ以外の最前列の席を確保(笑)

 いつものお願いにはなりますが、上映後の舞台挨拶のため、レポートの中に、一部作品の内容に関わる部分があることをご了承ください。

 この日の初日舞台挨拶には、主演の蓮佛美沙子さんをはじめ廣木隆一監督、小林ユウキチさん、中村麻美さん、尾高杏奈さん、小林優斗さん、Quinka,with a Yawnさん、映画主題歌を歌ったmegさんの総勢8人が登壇され、賑やかな舞台挨拶となりました。
 会場となったユーロスペース・スクリーン1は、座席数92名と小さなスクリーンでの上映となりましたが、この日の公開を待ちに待った人たちで、劇場内は満席となり、熱気があふれていました。

○ この日の舞台挨拶の模様は、作品のオフィシャルホームページにも
http://river-movie.com/news.html

(りょう)

つづく

【追伸】
 今日3月20日(火)は、21時からのフジテレビ系ドラマ『ストロベリーナイト』と22時からのNHK総合テレビ『大地のファンファーレ』に蓮佛美沙子さんが出演されますね。どちらのドラマも、連作モノの後篇となってしまいますが、ぜひ“蓮佛さんのいま”を、たくさんの方にご覧になっていただければと思います。  

2012年03月20日 Posted by ひがしざわ  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて⑥

 今回の震災については、先の加藤昌史さんは、「2万人以上が亡くなったり行方不明になった大災害じゃありません。災害によって亡くなった人や行方不明になったままの人がいる事件が2万件以上起きているんです。」と警鐘を投げかけています。
 日常では、火事や交通事故で1人が亡くなられただけでも、事件としてニュースで取り扱われます。ましてや航空機事故などで大きなニュースとなっても、それでも数百人の単位です。戦争における死傷者数も同じですが、大きく数をくくられてしまうと、ひとつの事件として、私たちの感覚もついつい麻痺してしまうところがあります。
 一人一人には、一つ一つの未来があったはず。そんな、大切な命が突然失われた事件が、数多くあったということをもう一度認識して、これからもどのような被災地支援があるのか、考えていければと思っています。

○ 加藤昌史さんの全文はこちらから
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-06-11


(希望と記憶、鎮魂と祈りを込めた『復興の鐘』を建立するために、現地で1枚300円で売られていた『釜石復興の風プロジェクト』チャリティうちわ。先日、震災後1年の各地を紹介するニュースの中で、釜石駅前でその鐘が鳴らされる姿を見て、感慨深いものがありました。)

 発災直後から、この『転校生さよならあなた日記』に掲載されたような細やかで機動力のある支援活動は、実は行政では不得手な部分でもあります。一方で、今回避難所において「(他自治体でも)役所の方が常駐してくれているから、私たちも安心していられます」との言葉をいただいたように、大きな部分では、行政の支援が必要不可欠でもあります。そういった意味では、各種団体の役割分担や連携、情報の共有化が、今後も重要になってくるのではないかと思いました。

 派遣期間の最終日には、避難所の皆さんから袋いっぱいの餞別をいただいてしまったこと。そして、車で避難所を去る際に、最後まで手を振って見送ってくれたお婆ちゃんがくれた缶コーヒーは、一生忘れられません。
 支援に行った自分が、地元の皆さんの暖かさや強さに、逆に元気をいただいて、東京へと戻って来ました。



 平成23年の漢字は“絆”でした。帰路の釜石駅には、全国各地の色とりどりの防災服に身を包んだ人たちが集まっていました。
 震災から1年、公設の避難所は全て解消したとはいえ、まだまだ被災地は継続的な支援が必要な状況です。
 大切なのは継続すること。簡単なようで難しいこのことを、私たちはそれぞれの想いとともに未来に紡いでいかなくてはならないと強く思います。



 そして、いま話題となっているのが、被災地の瓦礫受け入れの問題です。自分も日記上では『瓦礫』と表現してしまいましたが、決してごみなどではなく、元は一人ひとりの想いがたくさん詰まった『財産』であり『宝物』であったことに思いやることは大切なことです。

 また、3月11日の東日本大震災ばかりに目を奪われがちですが、翌3月12日に発生した長野県北部地震で震度6強の被害を受けた長野県下水内郡栄村や昨年7月29日の新潟福島豪雨災害で大きな被害を受け、未だに鉄道が復旧していない福島県南会津郡只見町のことも忘れてはなりません。

 本日の『転校生さよならあなた日記』を見ていただいた方の中に、被災地支援への想いを強くしてくれた方がいることを切に願って…


(2011年5月、映画『時をかける少女』の劇中と同じ2011年をむかえた福島県郡山市開成山公園の桜。仲里依紗さんも触れられた枝の桜が、震災や原発事故にも負けずに生命力豊かに咲く姿は、桜から私たちへ、生きることへのエールのように感じました。)

(りょう)  

2012年03月17日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて⑤

 さて、現地での被災地支援活動を通じて自分が感じたのは、被災地の皆さんがそれぞれ助け合う絆の深さでした。私が訪れたいくつかの避難所では、大広間であっても基本的に世帯ごとの仕切りはされていませんでした。仕切りがされていないことが理想だとは限りませんが、共同生活をしていく中で、コミュニティが形成されており、お互いがお互いを助け合っているのです。そして、避難所の前にいると、避難者だけでなく近所の方からも、「ありがとうございます」と感謝の言葉をたくさんいただきました。
 果たして、コミュニティが希薄な東京が同じように被災した場合はどうだろうか、上手くいくのだろうか、と不安を覚えました。

 被災地を後にする際には、被災者の皆さんにどのような言葉をかけて良いか迷いましたが、「頑張ってください」という言葉は、既に皆さんは充分過ぎるほど頑張っているということが伝わってきていましたし、『頑張ろう、東北』のキャッチコピーのように、既にたくさんの人からかけられていると思ったので、「また、復興した釜石に、今度は観光で必ず訪れるので、そのときにお会いできるまで、元気でいらしてくださいね。」と皆さんに声をかけて東京に戻ってきました。
 そうです、被災地東北の復興のためには、何も被災地支援のボランティアに行くことだけではありません。観光も、重要な産業振興&経済復興の一つの手段です。震災による過度な自粛の影響については、演劇集団キャラメルボックス製作総指揮の加藤昌史さんは「こういう大災害の後は、阪神淡路大震災のときもそうでしたが、世の中が「自粛→萎縮」に向かうだろう、と。しかし、そんなことをしていては、逆に被災された方々のためにならない。幸いにして物理的な被害は受けていない僕らのような人たちは被災された方々を気の毒に思って慎ましくしているのではなく、大変な目に遭っていらっしゃる皆さんを救うためにも普段以上に頑張らなければならないし、「この先どうなるかわからないから節約しよう」じゃなくて、義援金を送るのはもちろん、むしろ貯めていたお金をどんどん使って最終的に東北を潤すことが大切なのです。」と述べられており、また、朝日新聞仙台総局次長の野村雅敏さんは、観光の大切さについて某雑誌において「東北の物産を全国の人たちが買い求め、温泉が豊かな東北を旅行することが被災地の復興に役立っていく。」と寄稿されています。
 宮城県の村井知事も、4月29日、仙台で震災後初めて再開されたJリーグのベガルタ仙台と浦和レッズの試合を前に、「いつまでも下を向いていられない。宮城県が復興に向けて大きく歩き出すキックオフデーを宣言する。」と、埼玉からスタジアムを埋めた5,000人の浦和レッズサポーターを初め、満員の観客に向けて挨拶をされました。
 ぜひ、皆さん、今年は東北を訪れて、たくさんのお金を落としてきてください。


(4月29日の東北新幹線の全線再開に合わせたかのようにユアテック仙台スタジアムで開催されたJリーグ浦和レッズ対ベガルタ仙台戦には、スタジアムを真っ赤に染め上げる程の多くの浦和サポーターが、義援金や支援物資を持って埼玉から駆けつけました。サッカーを通じた繋がりが、地域の繋がりへと昇華した瞬間です。)


(復興支援派遣部隊の陸上自衛隊音楽隊による演奏に日の丸をはためかせて応える浦和レッズサポーターたち。『明日があるさ』と『どんな時も』の演奏に、浦和側ゴール裏席から自然発生的に手拍子が起こり、それがスタジアム全体に広がっていく様には、思わず涙してしまいました。)

 震災から1年が経過し、早くも風化ということではないかもしれませんが、被災地支援の活動も、当初の熱が冷め、低調になってきていると感じます。
 被災地は、ようやく当初の混乱が収まり、復興への第一歩が始まったばかりです。私たちは、まだ何も成し遂げてはいません。復興には、まだまだ年単位の長い時間が必要です。正に、これからこそが重要なのです。


(避難所に張り出されていた「復興の狼煙」プロジェクトのポスター)

○ プロジェクトの詳しい案内はこちらから
http://fukkou-noroshi.jp/

(りょう)

つづく  

2012年03月16日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて④

 次に、実際に震災にあった場合のアドバイスをいだきましたので、ご紹介します。
 災害時に最も怖いのは、情報伝達手段の途絶です。即時性の強い携帯端末やインターネットからの情報に頼りすぎている私たちは、いざそれが急に失われると不安感に襲われ、パニックを引き起こすことさえあります。携帯電話が不通となったことで、都内でも数多くの帰宅困難者を発生させました。災害時の情報収集手段として役立つものとしては、ラジオがあげられますが、今回の震災では、実はワンセグテレビが情報量や速報性で非常に役立ったそうです。発災直後の停電により、通常のテレビは観ることができなくなりましたが、市内の防災無線もダウンする中、ワンセグテレビで流された他地域の津波到達の映像を見て、これは釜石も危ないぞと避難を開始して助かったという例が数多くあったそうです。
 また、現地では、震災直後から携帯電話が使用できなくなりましたが、携帯電話は電波を受信できないと電波を探し続ける仕組みのため、電池が思っていた以上に早く消耗してしまい、必要なときに使うことができなかったというお話しがありました。電波を受信できない間は、電源を切っておくのが良いかもしれません。


(市内の建造物には、色のついた旗が立てられ、また、○×のマーキングがされている建物もありました。赤旗は「建物も瓦礫も撤去可」、黄旗は「建物は残して瓦礫のみ撤去可」、そして白丸印はご遺体が発見された場所ということを伺いました。)

 釜石では、津波により家屋が多くの被害を受けたことは元より、発災直後から電気・ガス・水道のライフラインが全てダウンしました。また、食料品についても、支援物資として避難所等に届けられても、市内の小売店には入荷されないため、たとえ家屋の被害を免れたとしても、避難所に頼らざるを得ない状況だったそうです。
 現地では、震災直後より、瓦礫の中から鍋などの調理器具を拾い集め、被災者自らで約1,000人分の雑炊の炊き出しをされたとのことでした。


(現地では比較的大きな道路においても信号機が復旧していなかったため、車の運転には慎重さが求められました。私が派遣されていた期間中にも、ボランティアが運転する車による交通事故があったとの話を聞きました。)

 これは余談ですが、釜石湾における津波被害が、同様のリアス式海岸である北部の大槌町や南部の陸前高田に比べて小さく済んだのは、もちろん個々の地形によるところもありますが、実は釜石湾の海底には、基幹産業である新日鐵釜石製鉄所を護るために、津波に対する世界でも類をみない特殊な湾口防波堤が沈められていました。津波の威力と言うのは、海面部よりも海底にいくほど大きいため(そのため、津波の際、船は沖に出て回避しますよね)、海底に築かれたこの堤防の最深部の高さは何と63m、ギネスブックにも登録されているこの堤防は、昭和53年より長年かかって築かれ、つい2年程前に完成したばかりでした。地元の土建業者を潤わせるだけの無駄な公共事業と思われていたものも、津波の威力を減殺し、釜石市内への津波到達を4分ほど遅らせ、多くの命を救ったといわれているように、万が一に備えるための公共事業が無駄と言えるのか、私たちの公共事業に対する考え方を、今一度見直す必要があるかもしれません。

 他にも、仮設住宅のこと、お見舞金の支給のこと、3ヶ月経ってもまだまだ毎日のようにがれき撤去作業中に行方不明者が発見されていることなど…、たくさんのお話しをいただきました。

○ 陸前高田市内。まるで爆心地に立っているかのようでした。







 以前、大林宣彦監督が、映画『スターウォーズ』のバーチャルな世界が9.11テロという形で現実となったことをお話しされたことがありましたが、自身の想像力を超える惨状に、逆に現実感が湧かず、自分は映画の中のバーチャルな世界にいるのではないかと、何の感情も芽生えない自分が、そこにはいました。

(りょう)

つづく  

2012年03月15日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて③

 さて、私が今回釜石市で従事した避難所運営に関わる主な業務の一つに、支援物資の管理があります。全国各地から寄せられた支援物資が各避難所に届けられ、避難所ごとにストックされます。
 しかしながら、特定の物資(例えば、カップ麺やお米)が倉庫に大量に余っているなどの状況がありました。
 一方で、現在、被災地で不足している物資として、6月23日付け釜石市発行の災害対策本部情報では、「加工品(佃煮など)・野菜ジュース、その他飲み物・トイレ用品(消臭剤、トイレ用漂白剤ほか)・乾電池・扇風機・虫除けスプレー・火や電気を使わない防虫剤」提供の呼びかけがあげられていました。
(※注:現在の不足品ではありません。)
 被災地で必要とされる物資のニーズは、刻一刻と変化をしていること、必要な支援物資の情報が支援をする側に伝わり、実際に現地に物資が納品されるまでにはタイムラグがあること、1つの情報に対して多くの団体が呼応し、同じような物資があちこちから大量に届けられてしまうこと、などが原因として考えられますが、真のニーズと支援物資を合致させることは、中々難しいことだと感じました。


(6月に訪れた現地では、コバエが大量に発生しており、食中毒を防止する観点から、早急な対策が必要と感じました。)

 また、当時の被災地での悩みとしては、震災から3ヶ月経った時点においても現地にお金が下りてこないということをお話しされていました。
 日本全国や海外から寄せられた義援金が、なかなか現地の被災者に配付されないことについては、報道等でも話題となりましたが、国で決定された震災関連の予算が、この時点では、未だに末端の地方自治体まで届いていないということでした。その原因が、空転する国会にあるのか、省庁にあるのか、どこにあるのかの議論はここでは別にして、釜石市では、津波による瓦礫の除去を地元の業者にお願いしているそうですが、地元の業者は、震災直後からほぼボランティア状態で3ヶ月間、働き続けていたそうです。初めの頃は、震災に負けないという使命感で頑張ってこられたのでしょうが、そのような状態が3ヶ月間も続くと、いかんせん規模の小さい地元業者の体力も限界に来ており、また、従業員のモチベーションも下がってきており、震災復興のスピードが落ちてしまうことを懸念されていました。当時、瓦礫の撤去率は、まだまだ35%程度という報道もありました。





 避難所生活が長期化することによる被災地での健康問題についても、大きな課題でした。釜石市では、避難所や仮設住宅に入居している被災者に対して他自治体から応援に入った保健師による血圧測定などの巡回健康診断や、岩手県警を初めとする全国の警察官・婦警で構成された心のケアチームによる巡回相談などが行われていました。ただし、日中は外出されている避難者の方も多く、各避難所を巡回しても大多数の被災者を診ることができないという事例も見受けられました。
 一方、今回は支援に当たる行政職員も同様に震災の被災者となっています。しかしながら、市の職員は、3月の発災以来震災対応の最前線に立ち、ようやく6月に入ってから週1日のお休みがとれるようになったという職員の方がいました。釜石市では、先に市職員に対するメンタルヘルスのチェックを実施したところ、約4分の1の職員が、精神状態に何らかの問題があるとされたそうです。また、市職員が震災対応で疲弊し、管理職を初めとする数多くの退職者が出るなどの事態も発生しました。
 被災自治体の行政を、他の自治体職員が担うことは、それぞれの地域の固有性や支援する側の自治体の人員の面もあり、非常に難しい問題ですが、一般の被災者だけでなく行政職員も含めた、トータルな被災地支援が、早急に必要だと思いました。


(津波に流され、岸壁に乗り上げた4,700トンもの大型貨物船。地元の人たちは、自嘲をこめて『宇宙戦艦ヤマト』と呼んでいました。)

(りょう)

つづく  

2012年03月14日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて②

 また、私も自治体による被災地支援業務の一環として、昨年の6月下旬、岩手県釜石市に派遣され、現地で避難所運営のお手伝いをしてきました。
 現地では、釜石市役所の職員の方を初め、発災以来、避難所のお手伝いをずっとされている自らも被災者である釜石市民の方、そして、避難所に避難されている方、他にも多くの人たちとの交流の中で、様々なお話しを聞くことができました。
 本日の転校生日記では、時間は経ってしまいましたが、あの日のことを決して忘れることのないよう、現地で自分自身が感じたこと、聞いてきたことを、レポートしていきたいと思います。

 新日鉄釜石製鉄所で有名な釜石市は、東北岩手県の沿岸中央部に位置し、西に遠野市、北に大槌町や宮古市、南に気仙沼市や陸前高田市があります。人口は、39,578人(平成22年国勢調査時)で、今回の震災により、888名の方が亡くなられ、158名の方が未だに行方不明のままとなっています。(平成24年2月29日現在)
 現地へは、大宮駅発午前7時42分の東北新幹線やまびこ253号で新花巻駅まで行き、そこで銀河ドリームラインに乗り換え、途中河童伝説で有名な遠野を経由し、鉄道にて釜石駅に入りました。JR釜石駅に降り立ったのは、午後1時21分。およそ5時間半の行程です。初めて降り立った釜石駅、少し海と泥の香りはするものの、直ぐに気にならなくなる程度。また、駅舎は工事用フェンスに囲われているもののそれほど震災の爪痕は感じられません。
 ただ、駅舎を外に出て、まず目に付いたのが、新日鉄釜石製鉄所敷地内にあった見たこともないような瓦礫の山。



 そして、釜石駅から先は、避難所まで車を利用しての移動となりましたが、市内の商店街に入ると、震災から3ヶ月経ったにもかかわらず、瓦礫がそのままの惨状は言葉にし難いものがありました。



 派遣期間中には、大きな余震も発生し、津波注意報と、それに伴い空襲警報のような避難勧告のサイレンが市内に鳴り響くなど、まだまだ現地は震災真っ只中にあるということを身体で感じました。


(派遣中の現地の新聞紙面)

(りょう)

つづく  

2012年03月13日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

震災から1年をむかえて

 平成23年3月11日午後2時46分に発生した『東日本大震災』。東日本の広い範囲に大きな被害をもたらしたこの災害に対し、『転校生さよならあなた日記』でも、発災直後から様々な団体による被災地支援情報などを提供してきました。
 震災から1年をむかえ、各地で追悼の催しが営まれていますが、この節目に合わせ、多くの映像クリエイターたちが、映像や物語に秘められた力を信じ、また、真実を教訓として未来へと紡ぐために、震災からの復興を題材とした映画作品や、震災の模様を記録した数多くのドキュメンタリー映画の公開を予定しています。
 震災を題材とした映画作品には、大別すると、①震災直後の状況をありのままキャメラに収めて、映像の力として発信しようとするもの。②震災後の原発のあり方への問題提起を投げかけるもの。③震災をモチーフとしながらも、人間が困難から立ち上がろうとする再生力を描いたもの。の3つに分けられます。
①にあたるのが、
 ・『大津波のあとに』(森元修一監督作品)
 ・『槌音』(大久保愉伊監督作品)
 ・『311』(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治共同監督作品)
②にあたるのが、
 ・『friend after 3.11劇場版』(岩井俊二監督作品)
 ・『3.11日常』(わたなべりんたろう監督作品)
 ・『フクシマ2011』(飯塚秀孝監督作品)
③にあたるのが、
 ・『トテチータ・チキチータ』(古勝敦監督作品)
 ・『RIVER』(廣木隆一監督作品)
などがあります。



 3月10日より渋谷ユーロスペースで公開されている『RIVER』は、蓮佛美沙子さんが主演の作品ですが、初日舞台挨拶に立った蓮佛さんは、「何かを残しておかなければ、との強い想いで撮った作品です。観ていただいた皆さんの心の中にとどまって、何かを考えるきっかけになってくれれば嬉しいです」と、この作品に込めた自身の気持ちを話され、また隣に立つ廣木隆一監督の「辛い思いは薄れていくので、毎年3月にこの映画を上映していただければと思います」との言葉に頷く蓮佛さんの姿が印象的でした。
 蓮佛さんが登壇された初日舞台挨拶の模様は、後日あらためて詳細にお届けできればと思います。

 また、『転校生さよならあなた』の大林宣彦監督も、先月行われた新作映画『この空の花~長岡花火物語』の完成披露試写会において、「東日本大震災で、劇映画は行方を見失っていましたが、復興の在り方をこの映画の中で物語ってみたい」と語られているように、直接的には今回の震災をテーマとしたものではありませんが、このカテゴリーに入ってくる作品でしょう。

○ 作品のオフィシャルホームページ上では、今回の大震災と本作品に込めた大林監督からのメッセージも公開されています
 http://www.konosoranohana.jp/director.html

 「市井の人々の勇気と祈りで平和を創り、何度でも蘇り、復興を遂げてきた町、長岡」を舞台とした大林宣彦監督作品『この空の花~長岡花火物語』は、4月7日より新潟県内で先行上映、その他の地域では今夏公開予定です。

 自分も、今回紹介した中のいくつかの作品を鑑賞させていただきましたが、『槌音』の舞台挨拶に立った岩手県大槌町出身の大久保愉伊監督は、「明日3月11日で1年が経って、これから本当の風化がどんどん始まってきます。本当に忘れられるということが大槌町民にとって一番怖いことですので、継続的に、今回の記録映像を観て、お客様の記憶に残していただければと思います。」と、まだまだ復興のためには、継続的な支援が不可欠なことを、お話しされていました。


(『槌音』の舞台挨拶に立つ大久保愉伊監督)

 ひとりでも多くの方に、これらの作品に触れていただいて、作品に込められた作り手の想いを受けとめ、そして、これからも震災や被災地に想いを馳せてもらえたらと思います。

(りょう)

つづく  

2012年03月12日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)TrackBack(0)未来に紡ぐ

西の門市開催!

明日は「西の門市」開催されます。
手作り品の販売にこだわったこの市も二年目を迎え、いろいろな人との交流が生まれています。

ひがしざわもずっとボランティアスタッフで関わっていますが、
善光寺門前、西之門町というまちが人を暖かく迎えてくれ、
ふるさとに帰ってきたような居心地の良さを感じるそんな市です。

日時:6月26日(日)10:00~
場所:西之門町の通り一帯

「西の門市」開催します! ←詳しくはこちらをクリック下さい☆



  

2011年06月25日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(4)TrackBack(0)まち巡り