ながのまちあるき ~須磨子と緑陰~ 中編

ひがしざわ 

2010年01月05日 08:00

矢澤家の祖頼綱は、真田幸隆(真田家の祖で初代藩主信之の祖父)の
弟の家で無役席(家老より上席)の家柄で代々執政職を務めました。
松代城下武家町の中心と成す殿町に広大なお屋敷がありました。

この門は三間一戸、両開き大扉(饅頭金物、入八双金物付き)の長屋門(ながやもん)です。
両脇には同心部屋が設けられています。
松代にはいろいろな種類の門があり、またまちあるきシリーズでご紹介したいと思っております。

特別に門の中へ入れて頂きました。


(内側からはこんな感じです。)


(同心部屋にも入れて頂きました。)

かつての長屋門は天保年間の建造で、とても堅牢な木材が使われていたそうで
焼失して再建された新しい門にも焼け残った一部の木材が流用されたそうです。


(裏側から見た門の骨組み。焦げた材木と新しい材木が組み合わされているのが見えますね。)



(資料も展示されています)

次は鉤の手曲がり道を過ぎ、片羽通りの市指定文化財の
日本電信発祥遺跡の鐘楼へ向かいます。

松代観光事業振興会様発行の
まつしろぶらぶら 主な史跡と文化財ミニガイドによると

-嘉永二年(1849)佐久間象山先生はショメール百科全書等により
日本で初めて電信機をつくり、藩の御使者屋敷と鐘楼の間50米にわたり、
電線を架設してダニエル電池を使用して通信の実験に成功した。
これが日本電信の始まりとされ、鐘楼は日本電信発祥遺跡として公開されている。-





佐久間象山先生といえば今年の大河ドラマで話題の坂本龍馬が師事した事で
生誕地の松代も今後話題になることでしょうね。



続く

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