◎「道全然わかんない。一緒に来て!」都電の横切る商店街:山梨県富士吉田市 富士みち
-左の精肉店さま、右の家具店さまの看板がポイントです。
赤帯の都電はCGで、ワンマンになる前、都電荒川線などに走っていた7500形です。
荒川車庫に1両保存されていますが、ワンマン使用され青帯です。時代考証から赤帯に
したそうです。また、赤帯の現物は東京たてもの園に同型車両が1両保存されています。
「道、全然わかんない。一緒に来て。」
車の停車している赤信号を、右から左に都電が通過します。
普通の交差点です。細かいところですが、センターラインは黄色から白に変えられました。
◎世田谷西中学校(和子が通っていた中学校): 埼玉県本庄市中央 本庄西中学校です。
この正門に「世田谷西中学校」の看板が掲げられ、何度か登場しました。
◎「これが2010年の技術よ♪」涼太とあかりが昼食を摂った定食屋:
東京都墨田区 「下総屋食堂」さま
-いまや少なくなった下町の定食屋さん。最近はドラマでもよく登場します。
(阿部寛さんの「白い春」など)
セットではありません。現役バリバリの「めしや」さんです。
ご飯(大中小)と汁物(味噌汁or豚汁)、それに焼き物や煮物の一品料理を
おかずに選んで組み合わせる、昔ながらのお店。
小生も、「焼き立て~」の焼き魚とかぼちゃの煮物、そして豚汁をいただきました♪
大衆食堂の1ジャンル、「民生食堂」を今に伝えるお店です。
「民生食堂」とは?戦前「外食券食堂」というものがあったそうです。
戦時中の厳しい食糧事情下で、米が配給制となり、
昭和16年、食堂自体が完全登録制になりました。
当時は、旅行者であっても、「米穀通帳」を提示して役所から外食券を
交付してもらわないと外で食事できなかったとか。
戦後復興の中でヤミ米が出回ったり、外食券不要の食堂が増えたりする流れの中、
昭和26年、外食券制度は廃止され、それまでの外食券食堂が、
東京都指定の「民生食堂」に生まれ変わったとか。(東京都指定食堂協同組合の加盟店)
低所得者層にも栄養価の高い食事を提供する、というのがその目的でした。
街でもあまり見かけなくなりましたが、「大衆食堂」の多くは、
この民生食堂の流れをくむところだそうです。
(続く)
しげぞー