「時をかける少女」ロケ地めぐり その3

ひがしざわ 

2010年05月03日 08:00

◎「道全然わかんない。一緒に来て!」都電の横切る商店街:山梨県富士吉田市 富士みち
 -左の精肉店さま、右の家具店さまの看板がポイントです。
  赤帯の都電はCGで、ワンマンになる前、都電荒川線などに走っていた7500形です。
  荒川車庫に1両保存されていますが、ワンマン使用され青帯です。時代考証から赤帯に
  したそうです。また、赤帯の現物は東京たてもの園に同型車両が1両保存されています。
 


「道、全然わかんない。一緒に来て。」



車の停車している赤信号を、右から左に都電が通過します。
普通の交差点です。細かいところですが、センターラインは黄色から白に変えられました。

◎世田谷西中学校(和子が通っていた中学校): 埼玉県本庄市中央 本庄西中学校です。




この正門に「世田谷西中学校」の看板が掲げられ、何度か登場しました。

◎「これが2010年の技術よ♪」涼太とあかりが昼食を摂った定食屋:
  東京都墨田区 「下総屋食堂」さま

 -いまや少なくなった下町の定食屋さん。最近はドラマでもよく登場します。
 (阿部寛さんの「白い春」など)




セットではありません。現役バリバリの「めしや」さんです。



ご飯(大中小)と汁物(味噌汁or豚汁)、それに焼き物や煮物の一品料理を
おかずに選んで組み合わせる、昔ながらのお店。
小生も、「焼き立て~」の焼き魚とかぼちゃの煮物、そして豚汁をいただきました♪

大衆食堂の1ジャンル、「民生食堂」を今に伝えるお店です。

「民生食堂」とは?戦前「外食券食堂」というものがあったそうです。
戦時中の厳しい食糧事情下で、米が配給制となり、
昭和16年、食堂自体が完全登録制になりました。
当時は、旅行者であっても、「米穀通帳」を提示して役所から外食券を
交付してもらわないと外で食事できなかったとか。
戦後復興の中でヤミ米が出回ったり、外食券不要の食堂が増えたりする流れの中、
昭和26年、外食券制度は廃止され、それまでの外食券食堂が、
東京都指定の「民生食堂」に生まれ変わったとか。(東京都指定食堂協同組合の加盟店)
低所得者層にも栄養価の高い食事を提供する、というのがその目的でした。

街でもあまり見かけなくなりましたが、「大衆食堂」の多くは、
この民生食堂の流れをくむところだそうです。

(続く)

しげぞー

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