◎涼太がバスに乗る新宿バスターミナル:群馬県高崎市 高崎音楽センター
−高崎城跡に作られた音楽ホール。
1961年に建てられ、日本のモダニズム建築の代表作と言われます。
涼太が出てきた出入口、深町にあかりが腕をつかまれたシーンの大きな室外機もあります。
停車する古いバス、様々な表示類やエキストラの方々のファッションなどで、
昔の新宿長距離バスターミナル風に変身しました^^。
(スキーウエアやカービングでないスキー板、ビンディングなど懐かしい♪)
(アナウンス)「−行きは、本日乗り場変わりまして・・・」
「すみません!秋田行きのバスはどこですか。」
「秋田行きのバスはあちらですよ。」
「涼太!涼太・・・涼太!」
「はなして!」
「未来から来た人間が過去を変えてはいけない。」
「なら私は未来に帰らない!」
(☆左手に撮影者の小生が写ってしまいましたが、このアングルだとどうしても・・・。
映画本編でもよく目を凝らすと、そこには何かが?!(笑))
−現実の新宿では当然撮影できませんし、昔のターミナル風で、夜を徹して撮影でき、
バスを走らせるのにそれなりのストロークで直線が確保でき、東京から比較的近く・・・。
まさにここしかない!という感じだったのでしょう。
あかりが能代行きバスを追いかけるシーンは横からのアングルで、そこには弦楽器の形の
公衆電話がありますが、地元の方はすぐ分かってしまうのでCGで消したと^^。
このシーン、懐かしいデザインの観光バスが出てまさに1970年代なのですが、
よーく見ると・・・。
手前の秋田行きバスは前乗り中降りの路線バスタイプです^^。
(巧みなアングルやカット割りでよくみないと気づきませんが。)
また実はバスは2台しかありません。最初のカットで4台ありますが手前3台は同じ車の合成。
秋田行きバス車内から見た能代行きバスのカットで2台になっているのも同様です。
稼動する古いタイプの大型バスをそろえるご苦労がうかがえます・・・。
撮影では、エンドロールにある、草軽交通さまのご協力で、同社の虎の子、
車歴29年のノスタルジックなバス、日野RC701が使用されました。
予備車ながら当時は現役で、毎年気候のよい時期に軽井沢近辺で時々稼動し、
バスファンを楽しませていましたが、2010年3月の車検満了をもってついに退役、
過去帳入りとなってしまいました。
草軽交通「日野RC701」さよならツアー
映画製作が1年ずれていたら・・・既に解体・更地になってしまったゴテツのアパート、
あさま荘同様、映画には「出演」できなかったわけです。
下吉田駅も改装され、おでん屋台・月江寺商店街のアーチも撤去され・・・
どれも昨年の春でなければ撮れなかった映像ばかりです。
もはや現実には見られない風景がスクリーン上に記録され、いつまでも思い出として残るのは
嬉しいですね。
つくづく、大林宣彦監督がよく口にされる言葉
「映画は辻褄のあったウソ(何事も偶然ではなく必然)」を痛感します。
偶然や自分の意思で撮ったと思っていても、何か天上の大きな意思のようなものが存在し、
その掌の中、このタイミングしかない、という感じで「撮らせてもらって」いる必然、と。
スタッフやキャストがスケジュールを合わせてこの作品を作るため集まられたこと、
ロケ地や当時を彷彿させる大小いろいろ貴重なもの。
天候やスポンサーなどもそうでしょう。
それらの条件が全てそろって1つの作品を作り出すのはほとんど奇跡です♪
(1つ条件が合わなくても同じものにならないわけですから)
しげぞー