ながのまちあるき~須磨子と緑陰~ 前編
日本近代演劇の黎明期に「私は女優」と胸を張り、日本初の近代劇女優となった松井須磨子。
長野市松代町清野出身で、1月5日は須磨子忌として例年松代で法要が営まれます。
NPO夢空間松代のまちと心を育てる会様の発行した
近代日本に足跡を残した松代ひと-ふるさと松代人物館-によると
松井須磨子 明治19年(1886)~大正8年(1917)
坪内逍遥の下で演劇を学び、帝国劇場などて発表した「ハムレット」「人形の家」などに主演、人気を博す。
恩師島村抱月とともに芸術座を旗揚げ。「復活」公演の劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒット。
日本初の近代劇女優として話題をさらい一世を風靡するが、恩師抱月がスペイン風邪で急逝。
その後を追って縊死する。-
33歳の若さで旅立った伝説的な生涯は多くの方の心を揺さぶります。
2009年、没後90年と女優となって100年を記念し、
須磨子忌にあわせて開催されたまちめぐりの様子をご紹介致します。

まちのあちこちで松と竹と南天があしらわれた注連飾りが飾られています。
古い立派な門や家が多く残る町並みに映えてとても美しい風景です。

この日は天気もよく北信五岳がはっきりと望めました。

まずは松代町殿町にある松井須磨子がここを訪れ「復活」の
公演をしたという海津座(かいずざ)跡へ向かいます。


建物が無くなって久しく、空き地となっていますが古木がかつて賑わったであろう往時を偲ばせます。
海津座跡の向かい側にある現在建物保全の為工事中の中町公会堂。
こちらも須磨子ゆかりの建物で一時期居住されていたそうです。

そしてやはり海津座跡近くの建物ですが、大正期トテ馬車の発着場跡のお宅。
トテ馬車とは馬が引いた乗り合いバスです。
長野電鉄屋代線(旧河東線)が大正11年に開通するまでは大事な交通手段でした。
木造三階建てで正面に車寄せがある貴重な建物が現在もそのまま残されています。

さらに伊勢町方面にすすむと市指定文化財の矢澤家表門が見えてきました。
平成17年に火事で焼失しましたが平成20年に再建され再び立派な姿となりました。


続く
長野市松代町清野出身で、1月5日は須磨子忌として例年松代で法要が営まれます。
NPO夢空間松代のまちと心を育てる会様の発行した
近代日本に足跡を残した松代ひと-ふるさと松代人物館-によると
松井須磨子 明治19年(1886)~大正8年(1917)
坪内逍遥の下で演劇を学び、帝国劇場などて発表した「ハムレット」「人形の家」などに主演、人気を博す。
恩師島村抱月とともに芸術座を旗揚げ。「復活」公演の劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒット。
日本初の近代劇女優として話題をさらい一世を風靡するが、恩師抱月がスペイン風邪で急逝。
その後を追って縊死する。-
33歳の若さで旅立った伝説的な生涯は多くの方の心を揺さぶります。
2009年、没後90年と女優となって100年を記念し、
須磨子忌にあわせて開催されたまちめぐりの様子をご紹介致します。

まちのあちこちで松と竹と南天があしらわれた注連飾りが飾られています。
古い立派な門や家が多く残る町並みに映えてとても美しい風景です。

この日は天気もよく北信五岳がはっきりと望めました。

まずは松代町殿町にある松井須磨子がここを訪れ「復活」の
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そしてやはり海津座跡近くの建物ですが、大正期トテ馬車の発着場跡のお宅。
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続く
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2010年01月04日 Posted byひがしざわ at 08:00 │Comments(0) │まち巡り
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