ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

7/25(日)に行われた2010年松代イヤーのイベントの1つ、

~長野電鉄屋代線に乗ってレトロで小さな旅
松井須磨子のふるさと~清野村を歩いてみよう~に参加して参りました。
さっそくご紹介しましょう。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

朝、長野電鉄松代駅にて集合しました。多くの方がお見えになり、松代駅は大賑わいです。
気温がぐんぐん上がり、夏らしい暑い一日となりそうです。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

ここから屋代線に乗って岩野・清野方面に向かいますが、
屋代線は乗車客が減り、存続が大変厳しい状況となっているそうです。
地元の方達は活性化・再生にむけ、「乗って残そう、屋代線!」といろいろな活動をされています。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

松代出身の「草川信」さん作曲の「汽車ポッポ」の碑が松代駅にあります。
童謡の碑は町内に10箇所ほどあるとか。いつかこちらもご紹介できたらと思います。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①
ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

松代駅は大正11年の開通当初の姿を留めているそうで、まるで映画のセットのよう。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

屋代方面の2駅先の「岩野駅」に降り立ち、きょうのまちあるきが始まります。

まずは岩野の「清水庵地蔵堂」へ。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

頂いた資料によると
-岩野集落の中ほどにあって本尊地蔵菩薩の他、
聖観音、魚籃(ぎょらん)観音、百体観音を安置している。
かつては集落の人が集いお数珠回しなどが行われていた。
寛保2年(1742)の大洪水(戌の満水)によって寺堂を流出。
安政6年、地中から聖観音が発掘され、百体観音とあわせて再建安置された。
魚籃(ぎょらん)観音は、地元の絵師、青木雪卿、慶応2年(1866)の作。
明治5年に作られた岩野仏恩講を中心に、観音供養が続けられ今日に至る。-

また永禄4年の川中島合戦の折、上杉謙信が千曲川を渡るのに霧で難儀し、
観音に願をかけたところ、たちどころに霧が晴れ合戦に勝利することができた-
というお話も伝わっているそうです。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①
(魚籃(ぎょらん)観音)
ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①
(ここで繰り返された方たちの祈りの力を感じ、共に祈りました)

地元の方の計らいでとても立派な仏像群を見せて頂き、本当に有り難かったです。

岩野の町も古い蔵や建物が多く残り、近世の佇まいを今に伝えてくれます。
路地好き、古い建物好きにはたまりません。

ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①
ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ①

続く



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2010年07月28日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)松代まちあるき

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