【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

ここで改めて下諏訪町の特徴をお知らせしましょう。

頂いた「匠まちあるきマップ」によると
-『しもすわ』を観るには、歩くのが一番、何故ならば『しもすわ』はとにかく狭いのである。
これは江戸期に現在の下諏訪宿場街が五街道の整備とともに造成された後、
徐々に毛細血管が広がるように、時代と共に広がっていったが、明治になるとこの町は
シルク産業が勃興し、戦後はカメラやオルゴールといった精密産業へ衣替えをしたのだが、
職を求めて多くの人々が日本中から集まり、ただでさえ狭い町に家を建てこんでいったことから
どんどん街中は狭くなっていったのである。
そしてその人たちを支えるために、商いを営む人たちも集まってきた。
近隣の町からも下諏訪へ買い物や遊びに集まってきたくらい何もかもが集まってきたのだ。
だからかつての下諏訪は『おまち(御町)』と呼ばれるくらい超過密の都会であった。
その『おまち』も日本中の田舎町がそうであるように、多くの人々の生活習慣が
郊外型生活に変わるとともに、急激に街中からはどんどん人の波は消えていった。
そしてそこに残ったのは、互いの家々が柱や壁を共有くらい入り組んだ
江戸から昭和が混在する『おまち』の残像だったのだ。
最近はその『おまち』の残像も少しずつではあるが『路地の町』『風情』という言葉で
持て囃されるようなってきたようだ。
そんな『おまち』はやっぱり、車ではなく歩くほうがおもしろい。-

旧中仙道と並行して通っている衣紋坂へやってきました。

【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

過ぎるといよいよ旧中仙道に入ります。

【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

旅籠風の建物が多く残り旧中仙道の町並みの面影が残ります。
街灯と各お宅の表札が江戸時代を感じさせるデザインで統一されています。

【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③
【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

ここ下諏訪宿には200メートルの間に8ヶ所の源泉掛け流し温泉があり、
諏訪明神のご神湯と言われいます。
女神様のお化粧水が温泉になったと言い伝えられ、錦の湯と呼ばれて千年余も脈々と続いているそうです。

そのうちのひとつ、共同浴場 旦過(たんか)の湯です。

【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

諏訪神社下社大社金刺満貞が正安二年(1300)に春宮の鬼門寺として慈雲寺を開基したときから、
修行僧の救護施設として旦過の湯を開設したそうです。
のち宮本武蔵も入浴したという伝承もあるそうです。

【TAROへの旅~すわぶらり~】 ③

この少し登った先に児湯(こゆ)がありますが、お湯の効能がちがい、
熱いがさっと汗が引くのが旦過湯、しっとりと暖まるのが児湯で、
地元の方は体調で使い分けているそうです。

続く



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2011年03月11日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)まち巡り

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