長岡百花繚乱の紀~『深谷シネマ・トークイベント』 レポート⑤

 続いての質問が、有楽町のスバル座で作品を観終わった後に、知らない方から映画の感想や長岡花火について話しかけられたという男性の方から、「脚本と撮影台本では、どのような違いがあるのでしょうか。」という質問です。

大林:「全部で4本か5本ぐらい印刷したホンがあると思います。と言うのは、3・11の前に、一度、長岡花火の映画ということで、シナリオが完成していました。それで3・11にあったときに、とてもじゃないですが、そのままのシナリオで創る訳にはいきませんでしたから、長岡に行ってから、撮影台本を書き直すという仕事をした訳です。更に言えば、毎日シナリオは書き変えていました。この映画は、ジャーナリズムですから、その日の新聞を読めばまた違ってくるし、同じ映画でも、昨日観るのと今日観るのとでは、全く違ってしまう。私も実は昨日観ていて、この映画の中で、「日本でだって、日本人同士が殺し合って」というセリフがあって、それは、前に観たときには、そこのところはあまり響かなかったのですが、ちょうどいま、学校の自殺問題が身近に起きたあとで、この映画を観ると、その言葉がグサッときて、「そうだよなぁ。でも、そんな言葉を俺が書いていたのは、どういうことだったんだろう。」と。でも、書いたのは自分じゃないですよ。上の人がね。それぐらいに、自分が創ったという感じではない映画なのです。何故かこの映画の全てが、そういう自然界の力に、委ねられていたというか。ただ、昔から、僕は映画という物は、不自由な不便な物だなぁというのがいつもあったのです。2時間以内の劇映画とドキュメンタリーしかないでしょう。エジソンという人が、この映画を発明したときには、そんな風なことは考えていなかった。1秒の映画があっても良いだろうし、100時間の映画があっても良い。どんな映画があっても良いはずなのですが、なぜか商業主義の中で、そうなってしまったのですね。僕は、そういう商業主義の中で育った監督ではないですので、今でも映像作家と名乗っているのは、小説を書くように映画を創っていこうと。だから、うちの奥さんがプロデューサーとして全く個人でやっていますが。これは、小説でいうと徒然草なのです。徒然草というのは、実際に見聞したものを自分が自由に随想して描いている。そういう映画が出来たら良いなぁとは昔から想っていたのですが、そんなものを創るチャンスもないですし。それが、この3・11のときに、いまこそそれができるなと、そういう声がしたのだと思うのですね。あなたがおっしゃるように、結論のある話をしっとりと画いたものなら、1回観れば、「良かったわ、これで分かった」となるのでしょうが。この作品は問いかけているだけですから、どなたもが何度もご覧になる。そして、おっしゃるように、必ずこの映画を観た後は、「私はこうでしたよ」と皆さんがおっしゃるのです。戦争体験者はもちろんそうだし、戦争を知らない若い人たちも、それはお爺ちゃんから聞いたなぁ、お父さんから聞いたなぁ、と。私が一番感動したのは、4歳の男の子を連れて来たお父さんがいて、その4歳の子供がこの映画を観た後にお父さんを見て、「お父さん、僕、いま生きてるの。」と聞いたそうです。これは素晴らしい言葉です。お父さんが「うん。君は生きてるんだよ。あの自転車に乗っているお姉さんも生きているんだよ。一緒に生きて、戦争のない時代を創ろうね」と。4歳と言うのは、一番純粋な心を持っていますから、実は、この映画は難しい映画で、大人ですら理解するのが難しいと言われているのだけれども、4歳の子供がスパッと一番僕が伝えたいことを分かってくれた。「僕、いま生きてるの」4歳の子供ですよ。これも映画の力ですね。」

 そして、質問コーナーも終わり、最後に監督から、「うちのパートナーが、あちらにいますので。」と奥様の大林恭子プロデューサーを紹介し、会場から拍手が贈られます。

 恭子さんからもひと言、来場者にご挨拶がありました。
 「今日は、本当にありがとうございました。私たちは、監督の作品を創りましたが、今日、こうして皆さんのおかげで映画になりました。本当にありがとうございます。皆さんのおかげで、素晴らしい映画としてひとり歩きができたと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。」

長岡百花繚乱の紀~『深谷シネマ・トークイベント』 レポート⑤
(来場者に向けて挨拶をする恭子さん)

 恭子さんの言葉に、大林監督からは、「私も一緒になって半世紀以上、大学時代から一緒ですが、戦争の話は、ほとんどしたことがないのです。でも、いつも羽田に行くときに、彼女が運転して、私が横にいますと、お台場の橋を渡るときにいつも「東京は復興したわね」とつぶやくのですね。というのは、3月10日のあの東京大空襲の中を、逃げ惑った体験のある人で、しかしながら、私たちは、60年近く一緒に手を寄り添いあっていたのですが、今度の映画ができたときに、「私の3月10日と、ようやくつながったわ」とひと言感想を残してくれたことが、私にとっても大切な想いでした。この映画はきっと、お一人おひとりのなかにあるそういう想いが、きっとどこかで誰かと繋がっている。戦争というのは痛ましい体験ですが、しかし、この深谷と長岡がこうして繋がっていく。あるいは、広島や長崎、ビキニ環礁とも繋がっていく。映画はどこかに繋がっていますので、手繰り寄せられていくと、全ての繋がりの向こうにあるものは、きっと平和というものではないのかなぁ、と。それを信じるのが映画で、いつかこの映画は、そういうエンドマークを迎えられる時がくると思いますので、それまでどうか皆さんの手で育ててください。」

 舞台から降りる際には、「また深谷に戻って参りますので。」と心強いメッセージを送られた大林監督。
 怒涛の1時間半は、これからの“街なか映画館”のあり方に関して、非常に濃密で貴重なものとなりました。

 トークショー終了後には、深谷シネマの交流スペースにて、サイン会も開催され、その後は、敷地内の古書店『円の庭』さんにて、監督や恭子さんを囲んでの交流会も開催。店内のテーブルには、かつての醸造樽の大きな木蓋が再利用されています。全国から集まった珍しくて素敵な古書の数々と、不思議なお札に囲まれて、遅い時間まで、街なか映画館の話で盛り上がりました。

長岡百花繚乱の紀~『深谷シネマ・トークイベント』 レポート⑤

 交流会では、大林監督から、『この空の花~長岡花火物語』と合わせて観てもらいたい作品として『放射線を浴びたX年後』というドキュメンタリー映画を紹介していただきました。

長岡百花繚乱の紀~『深谷シネマ・トークイベント』 レポート⑤
(公式サイトはこちら → http://x311.info/

 作品の公式サイトには、大林宣彦監督から
 「知らず学ばず、 忘れたふりして、燥ぎ過ぎた平和と繁栄の中を生きてきた日本は、3.11と共に壊滅した。今こそ僕らは正しい日本の未来を手繰り寄せるためにも、例えばこの「X年後」を見なければ、体験しなくてはならない。積年のテレビ番組を注目してきた僕としては、今、その映画化の成果を、諸手を挙げて応援します。これは貴重な日本と日本人の記憶です……」
 とメッセージを寄せられています。

 キネマ旬報のレビューでも辛口のレビュアーたちが好評価をつけていた『放射線を浴びたX年後』は、昨年、ポレポレ東中野さんにて1ヶ月ほど公開されたので、ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、本年も3月10日(日)から3月16日(土)まで、深谷シネマさんでの上映が予定されているので、まだご覧になられていない方は、この機会をぜひお見逃しなく。

(りょう)


同じカテゴリー(未来に紡ぐ)の記事画像
高田世界館さんにて映画『転校生』上映
『野のなななのか』TAMA映画賞・最優秀作品賞受賞!
エキストラ虎の巻
おめでとう☆彡
映画『月とキャベツ』上映&トークイベント開催決定!
銀映館ふたたび~世界館で『シグナル-月曜日のルカ』上映!
同じカテゴリー(未来に紡ぐ)の記事
 高田世界館さんにて映画『転校生』上映 (2015-02-27 08:00)
 『野のなななのか』TAMA映画賞・最優秀作品賞受賞! (2014-10-14 08:00)
 エキストラ虎の巻 (2014-03-11 08:00)
 おめでとう☆彡 (2014-02-27 08:00)
 映画『月とキャベツ』上映&トークイベント開催決定! (2013-09-18 08:00)
 銀映館ふたたび~世界館で『シグナル-月曜日のルカ』上映! (2013-08-21 08:00)

2013年01月11日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)未来に紡ぐ

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。