いきものがかりのプロモーションビデオ

大活躍中の信州うえだフィルムコミッションさま。
続々とアーティストのプロモーションビデオの撮影が行われています。

5/27(水)に“いきものがかり”さんの最新13thシングル「ふたり」が発売されましたが
ロケ地として上田電鉄別所線の八木沢駅ほか上田市内で
プロモーションビデオの撮影を行われたそうです。

このビデオは5/29までの期間限定で“いきものがかり”さんの公式サイトで公開されました。
ご覧になった方も多いでしょう。

“いきものがかり”公式サイト ←こちらをクリック☆

また2009年5月20日(水)の
1年10ヶ月ぶりにリリースしたスキマスイッチさんの「虹のレシピ」ですが、
こちらのジャケット写真も上田市内で撮影され、
市内の小学生56人が「虹」を作ったそうで
華やかでかわいいデザインが目をひきます。

是非ご覧下さい。

  


2009年05月31日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画関連

文藝春秋 SPECIAL 発売!

5/27(水)、文藝春秋 SPECIAL 季刊夏号が発売となりました。

今回の特集は<映画が人生を教えてくれた>で
映画監督 書き下ろし-私が衝撃を受けた作品-特集で
大林宣彦監督が、「嘘から出た真、の知恵」の文を寄せていらっしゃいます。

詳しくは

文藝春秋社公式サイト 文藝春秋 SPECIAL ←こちらをクリック☆

ひがしざわもお会いした方に、おススメの映画を聞くのが楽しみです。
多くを語るあうより、何故その映画が好きなのか思いを巡らすだけで
その方のいろいろなお気持ちがわかるような気がします。

楚々とした女性が昔のチャンバラ映画が好きだったり、
強面の方がロマンチックな映画が好きと答えて下さったときのような
良い意味で裏切るときがたまりません!

  


2009年05月30日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画 大林宣彦監督 長野

おのみちまちあるき。。。第38話「千光寺山の住民たち。」後篇

おのみちまちあるき。。。第38話「千光寺山の住民たち。」 後篇

千光寺山、山頂の北側に1965年「千光寺グリーンランド」という遊園地がオープンしました。
共楽園から移された猿山のほか、豆電車やジェットコースター、ミニ観覧車などが並び、
子供たちの歓声が絶えませんでした。
(豆電車の停車場には、尾道駅の駅名標が流用されていて貴重でした)

映画「あした」にも、妻娘を亡くした永尾部長(峰岸徹さん)がデスクにおいた
家族写真のバックに観覧車<ボンボリィ>が映っています^^。




大いに賑わいましたが、バブル崩壊、少子化、レジャーの多様化で年々入場者は減り、
営業日も通年からシーズン(春・夏・年始)のみに短縮。
収支ギリギリで営業を続けていましたが、大阪の某遊園地のコースター事故で、
国交省から安全点検を求められ、その費用などで膨大な赤字になると分かり、
2007年夏に廃業、40年余の歴史に幕をおろしました。
遊具類はすっかり撤去されてしまいました。
猿山は当面残り、他の跡地は桜や緑を活かした自然景観公園として活用するそうです。



多門亭には「お猿のかごや」さんがいましたが・・・正真正銘千光寺「猿」山の住民です。
君たちもとりあえずは立ち退きせずに済んでよかったね。

(・王・)「きゃっきゃっ!でも先のことはわからないや」
(・王・)「共楽園からここへの引越しだって・・・所詮僕らは人間の都合次第さ。」

すっかりあきらめムードの猿たちです。




緑豊かな千光寺山には他にも住民が。
出雲屋敷あとにある写真館の庭には時々狸が出てきます^^。
2007年夏、まず顔を見せたのは左の父?狸。
「お初におめにかかりやす。ポン助でやんす。お邪魔するでげす。」

1ヵ月後、安全と判断したのか一家で現れました。
「カミさんとチビたちでげす。全くやんちゃでじっとしてないから困るでやんす。」

そして・・・昨年2008年の初夏に再び登場!
よく見ると毛色が違います。
どうやら昨年の子供たちの1頭らしい。
安心して子育てのできるこの一帯を相続^^?
(あれからまもなく1年。今年も顔を見せるでしょうか。)





人間も、犬猫そして狸ものんびり平和に暮らせる坂道の街。
何だかいいですね^^。

しげぞー  
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2009年05月29日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき

おのみちまちあるき。。。第38話「千光寺山の住民たち。」前篇

おのみちまちあるき。。。第38話「千光寺山の住民たち。」 前篇

千光寺山の山頂から中腹にかけては千光寺公園が広がり、
春は桜、つつじが咲き、初夏は藤の花、秋には菊花展の菊がキレイです。
園内には市立美術館や文学のこみち
(「転校生」で2人が痴漢を撃退する場所)などもあり、
山頂の展望台からは尾道市内が一望できるとともに
瀬戸内海の島々が眺められます。
天気の良い日は四国を遠望することもできます。

千光寺山は聖域でしたが、明治に入り千光寺の檀家衆や、
商売で財を成した方々が寄付を持ち寄り、
眺望を楽しめる憩いの場として「尾道共楽遊園」を作ったことから新たな道を歩み始めます。
ここでちょっと、千光寺公園の歩みについて。

西国寺の末寺として長く無住でやや荒れていた千光寺、
明治中ごろ、檀家の集まりで、
三木半左衛門という方が1つの提案をしました。
徳島から藍商人として尾道にきた三木氏は還暦を機に諸国巡礼の旅に出かけ、
岐阜、長野善光寺から、東北、北陸と旅を続けて尾道に戻り、
「全国をまわったが尾道の景観にまさるものはない。
でもお寺が荒れ果てたままでは町の不名誉なので、石段をつくり、お寺を修繕し、
日本一の景色を市民や観光客が楽しめるようにしよう!」と。

尾道の景観は、頼山陽など数々の文化人が褒め称えていましたが、
地元の人々にとってお山はまだ聖域。
上から見下ろすより、麓から見上げる千光寺山の美しさや
尾道水道の風景で満足だったのです。
また、千光寺へ上る参道は細く曲がりくねり、
お年寄りや子供にはとても登りにくい道でした。
(その名残が「千光寺旧道」や「裏参道」だったわけです。)

三木氏は豪商たちに呼びかけて寄附金を集めるとともに工事を進め、
公園の名を「尾道共楽遊園」と命名、
今も残る藤棚や桜の植樹を始めたのでした。
更に、多くの人が参拝、
頂上からの景勝を楽しんでほしいと石段542段を完成させました。

そんなおり、家業を継いでいたご長男が急逝、
心身も経済面も大打撃を受けた三木氏は完成間近の公園を見ながら、
完成で終わりではなく維持管理が必要と考えて、
檀家衆と相談のうえ土地所有者の千光寺から尾道市に寄付し、
運営管理を市にお願いすると決めたのでした。

尾道市へ寄付された「尾道共楽遊園」は整備され2年後に完成。
「千光寺公園」と名前を変えましたが、
町の人々ばかりか全国から観光客の集まる場所として利用されています。
正面右が「見晴亭」、その左に広がる広場が、元「共楽遊園」です。
広場すぐ上の道標にも「左・新公園 右・千光寺」とあります。
山頂の公園ができて中心地が移っていったことを想像させますね。




大正4年ころの「尾道案内」には「千光寺公園」の隆盛が述べられているそうです。

 「千光寺公園は、これ共楽園と称し、総坪数1347坪を有する
 天然の形勝を加える に、池をうがち、魚を放ち、庭をつくり、
 茶寮を設け、花樹を植え、草花をまき、その他
 幾多の人工を施し、春の桜桃、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景、
 いずれも画趣 ならざるが中において、陽春3月、桜樹数百株、満山これ花かととまどう共楽園の
 夜桜は、花下に宴飲歌舞するも幾百千、弦歌洋々として湧くところ、行楽の土女
 織るが如く、542段燈道は人をもって埋められ、すこぶる雑踏壮観を極め、付近に
 料亭、貸席、喫茶店等を営むもの少なからず」
    (以上、「千光寺山荘」ホームページ掲載の記事より抜粋)

続く

しげぞー  


2009年05月28日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき

ロケーションジャパン

ひがしざわはこんな雑誌が発刊されていることを今まで知りませんでした。



あのロケ地はどこ?
ロケーションジャパン
 ←こちらをクリック下さい☆
株式会社地域活性プランニング様発行

5/15日発売の最新号では、長野県とも縁が深い長野県~富山県の
黒部から立山がロケ地の
6/20公開 木村大作監督の「劔岳 点の記」 ←公式サイトはこちらをクリック下さい。
の撮影風景が紹介されています。
雄大な素晴らしい風景でした。
簡単にロケ地巡りに行くのは難しいかもしれませんが、旅行会社さんによる
ロケ地ツアーが紹介されていました。

HPでも蓮佛美沙子ちゃんの最新作“いけちゃんとぼく”のロケ地、高知県高知市浦戸についての
情報が載っています。

“転校生 さよなら あなた”のロケ地は過去に掲載されたのでしょうか?
またゆっくり読んでみたいと思います。  


2009年05月27日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画関連

蓮佛美沙子ちゃん、月曜ゴールデンに初登場!

蓮佛美沙子ちゃんファンの皆様!
BIGなニュースが飛び込んで参りました。

美沙子ちゃんが久し振りに民放テレビの主演で登場されます。
月曜ゴールデンには初登場。
番組情報を見ると美沙子ちゃんはウェディングドレス姿で登場するようですね。
共演は内田朝陽さん、麻生祐未さん、山中聡さん、眞島秀和さん他。
大林監督の「あした」、「転校生 さよなら あなた」にも出演された高橋かおりさんも登場。

ひがしざわ、「転校生 さよなら あなた」の撮影中、
ボランティアの集合場所のリンデンホテルのロビーにいたところ、
エレベーターから高橋かおりさんがちょうど出ていらっしゃって
ロビー内が急に華やかになったことを思い出します。
勝野雅奈恵さんもその後いらっしゃって、ひたすら見惚れていました。
勝野さんはボランティア一人ひとりにも明るく「おはようございます!」と挨拶され、
とても素敵な方でした。
今思うとあのシーンの撮影の日だったのだなあ。。。と。

すみません、脱線致しました。

6月1日21:00~22:54
TBS系月曜ゴールデン特別企画「二重裁判」 ←詳しくはこちらをクリック下さい☆


月曜ゴールデン特別企画「二重裁判」フォトギャラリーより

美沙子ちゃんの活躍には驚かされるばかりです。
どうぞお楽しみに。  


2009年05月26日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(2)映画関連

おのみちまちあるき。。。第37話「見晴亭の碇、そして・・。」

おのみちまちあるき。。。第37話「見晴亭の碇、そして・・・。」

千光寺道九合目あたりに1軒の建物があります。
「見晴亭」と呼ばれていますが、
確かにここからの尾道水道の見晴らしは最高でしょう^^。



車や自転車でまわれない坂道、歩いて散策することになりますが、
夏でなくとも天気の良い日など、歩いているうちに喉が渇きます。

実は、尾道の千光寺山、「古寺めぐり」の散策路の途中には
飲み物の自販機が皆無なのです。
(自販機を増設すれば売上は上がるでしょうが、空き缶のポイ捨てや
商品補充の労力など、メリットとデメリットを天秤にかけたのかもしれません。)
メインルートの途中にある唯一の自販機がここです。

尾道散策に出かけられる方は、山麓か頂上付近であらかじめ
水分を十分補給するか、ペットボトル飲料を確保してから
坂道に出発することをお勧めします!
(その代わり、ちょうどのどが渇き小休止したくなる中腹に、
アットホームなお茶屋さんやカフェがいくつも営業中。
せっかくおいでになった尾道、必ずしも便利なことばかりではないことも数々ある坂道で
頑張っておられる方々への還元として、ぜひご利用ください♪
かつて豪商や地元の名士が楽しんだ「千光寺ヒルズ」からの眺望を、
楽しむことができるかもしれません^^)

-と脱線しましたが、この見晴亭脇から千光寺本堂への石段が始まります。
石段をあがり右に曲がればすぐ。
ここですぐ右側に目を向けます。
フェンスと木の電柱の間に、狭いけものみちのようなものがのびています。
いまや人が通ることもほとんどないこの「道」、かつて千光寺山の東側、
出雲街道側からの参道として使われていたのです。
「裏参道」と仮に呼んでいます。




そういう小生も、ここを散歩コースの1つにしているドビンちゃんに
連れてこられるまで存在に気づきませんでした。
見晴亭の上から「ふたり」で実加が痴漢に遭遇するシーンで登場する木の根っこや
石仏のある踊り場をぐるりとまわり、
「あした」の恵の自宅周辺から艮神社上に抜けるこの道。

巨石が沢山転がる急傾斜地なので、落石防止、防災工事は一通りなされていますが、
足場も必ずしも万全ではなく、スニーカーなどそれなりの靴でなければ
一般にお勧めできるコースではありませんが、石を削った階段などに参拝客が
行き交った時代の風景を思わせる場所ではあります。




千津子姉さんの助けで痴漢を撃退した実加が放心状態で河本ピアノ教室に
向かう途中、この石仏の前で雨が降りだしましたね。



しげぞー  


2009年05月25日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(2)おのみちまちあるき

第11回映画を読む~映画館の暗がりで

毎年、興味深い色々な講座を受講することができる
清泉女学院大学/清泉女学院短期大学様開催の生涯学習講座。
開講から28年を越え、2009年度は第29回目となります。

芝山 豊先生による 「映画を読む」講座も11回目。
今年の講座は6/13(土)に我らが長野ロキシーさんで映画を見て、
ディスカッションするそうでとても楽しみです。

パンフレットより内容を転記させて頂きます。

"第11回映画を読む~映画館の暗がりで~"

『映画を読む』第11回目はキャンパスをとび出し、「映画館の暗がりで」と題し、
長野市街地の老舗映画館「ロキシー」で行います。
短い講義のあと、本物のスクリーンでたっぷり映画を鑑賞、
映画を肴にみんなで話に花を咲かせます。
初めての方、冷やかしの方も歓迎です。
(上映時間等の詳細はお申し込みの際にご連絡します。)

映画は「MILKミルク」の鑑賞予定だそうです。

清泉女学院大学/清泉女学院短期大学様開催の生涯学習講座の内容
            ↑
内容、お申し込みについてははこちらをクリック下さい。
 
長野ロキシーさんの記事
“ミルク公開初日、映画館がキャンパスに?<公開講座>を開催致します”
            ↑
   こちらをクリック下さい☆


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2009年05月24日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画上映

蓮佛美沙子ちゃんのテレビ出演情報

今回は間に合いました!
蓮佛美沙子ちゃんのテレビ出演情報です。
合わせて再放送をお楽しみに。。。とお伝えした番組も再放送が決定致しました!

まずは、NHK-BS2の 
「おーい、ニッポン~私の・好きな・鳥取県~」
6月7日(日)10:00~11:54、13:00~16:00 
※午後の部に出演されるそうです。

NHK-BSハイビジョン(再放送)
「拝啓 十五の君へ 若松島編 ~歌と歩んだ島の子どもたち~」
5月26日(火)17:00~ ※ナレーションによる出演
※美沙子ちゃんはナレーションによる出演です。

今度はお見逃しなく☆

そして美沙子ちゃん出演作
映画「いけちゃんとぼく」の公開も近づいて参りました。
この映画でも美沙子ちゃんは“転校生 さよなら あなた”の“一美”と“カズオ”同様
二役の“みさこ”と“ミサエ”を演じられます。
長野市では“シネマポイント”様で上映予定です。

映画「いけちゃんとぼく」宣伝スタッフのブログ ←こちらをクリック下さい☆

映画「いけちゃんとぼく」公式サイト ←こちらをクリック下さい☆

  


2009年05月23日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画関連

おのみちまちあるき…第36話栄華の名残、忘れられたものたち。

おのみちまちあるき。。。第36話「栄華の名残、忘れられたものたち。」

多門亭だけでなく、千光寺山には歴史を感じさせる数々の痕跡が残されています。

たとえば、山の八合目にある千光寺本堂から頂上の展望台に続く参道脇の林に、
「日本殉情伝・おかしなふたり」「あの夏の日」でロケ地となったポンポン岩や、
松の根が岩を割っているような「岩割の松」などの名所が連続します。
(岩肌には、頼山陽さんの文章が刻み込まれています)



これらメジャーな名所とは別に、こんな石柱がひっそり立っています。



いまや誰も気に留めないこの石柱、大きな岩の前に立っています。
よくみると背後の大岩から削り出されたもののようです。
さすがは石工の町、尾道の技ですね。
文字も彫られています。「千白稲荷社 多門亭」。
昔、件の多門亭が繁盛していたころにお稲荷さまのお社を造営し、
篤く祀られていたのでしょうが、多門亭が撤退、
公園の中心が山頂に移るのとともに存在自体忘れられてしまったようです。
(でも、Googleマップにはきちんと名前が記されています^^)

そして、その肝心のお稲荷様は?というと・・・
石柱の脇から林の中に参道が続いています。
ただ、参道の登り口正面に、頼山陽さんの銅像がどーんと置かれています。
お稲荷様は信仰のパワーも強いとききますが、大丈夫でしょうか^^;。




銅像の脇から崩れた石段をのぼってゆくと、うっそうとした林の奥にお稲荷様が。
表の道から全く気づきませんね。
(撮影中も表の道を通行する観光客が沢山いました。
林から突然出てきた小生にびっくりした方も^^;)
木の鳥居が朽ち、崩れています。片側の柱だけが立ち、
右側は礎石が残るのみ、右には「百度石」と書かれた石もあり、
篤い信仰を集めていたことを感じさせます。




お祠本体は・・・時代の流れとはいえ信仰の対象だった場所ですし、
しかるべき手続きを経て他の場所に御霊遷しや合祀がなされていることでしょう。
そうでなければ、きちんと整備してさしあげたほうが。。。



(熱しやすくさめやすいのが日本人の性格ですが、困った時の神頼み、はいけないですよね^^;。)

しげぞー  


2009年05月22日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき

蓮佛さん日本フィルハーモニー交響楽団デビュー☆ 後篇

そして、いよいよ開演。蓮佛美沙子さんは、舞台左手より指揮者の沼尻竜典さん、
アコーディオンの大田智美さんといっしょにオーケストラの前に入場。
指揮者のすぐ左手に座ります。

そう、この『系図』では、アコーディオンやスティールパンなど、
オーケストラでは一風変わった楽器が登場します。

この日の蓮佛さんは、白地に薄いピンク色の花柄が入ったワンピース。
オーケストラの団員は、真っ黒なタキシードやドレスを着ているので、
暗闇のなかに咲いた一輪の可憐な花のよう。


(みなとみらいホール大ホール)

指揮者の確認の合図に、少し頷いて、演奏が始まります。

「むかしむかし…」から始まる詩の朗読。

テキストは、谷川俊太郎さんの『はだか』という詩集の中から、
武満徹さんが択んだ6篇の詩を、
すべて少女の一人称として再構成し、曲が付けられています。
これらの詩は歌われるのではなく、朗読されるのが特徴です。

武満徹さんの指定では「12歳から15歳位の少女による朗読」となっていますが、
実際の演奏会では、今回の蓮佛さんのように、
年輩の女性によって朗読されることも多いようです。
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによる日本初演では、
当時15歳の遠野凪子さんがナレーションを担当されていました。
「この曲は世界で一番たくさん振っているんじゃないかな」と語る沼尻マエストロは
蓮佛さんを「子供と大人の間にいて、少し背伸びをした少女。
それでいて客観的に世の中をみていたり、哲学的な思考をしたり。
そんな神秘性を、蓮佛さんは持っている。」と表現されています。

演奏は約24分間。
「おじいちゃん」→「おばあちゃん」→「おとうさん」→「おかあさん」→「とおく」と
ゆったりとしたペースで続く詩を、国際的指揮者・沼尻さんのタクトに合わせて、
しっかりと心を込めて朗読する蓮佛さん。
言葉を大事にする大林宣彦監督に育てられただけあって、
そのひと言ひと言に力があります。
ホールに響く透き通った声が、満員の観客を惹きこんでいました。
まるで蓮佛さんも素敵な音色を奏でるオーケストラの楽器のひとつでした。


(ホール入口)

そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな
そのひとはもうしんでてもいいから
どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな

どこからかうみのにおいがしてくる
でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける

演奏終了後は、大役を果たしホッとしたのか、
少し微笑んで指揮者の沼尻さんとガッチリ握手。

その後、2度ものカーテンコールに、
最後は感極まって口元を手で押さえながら、満面の笑顔を魅せてくれました。


(荘厳な大ホール)

フルオーケストラをバックにしての『語り』は、まさに新境地。
舞台初デビューが、格式あるみなとみらいホール大ホール&日本フィルとは、
まさに“圧巻”のひと言。

またひとつ、蓮佛さんの新しい魅力発見☆
次は私たちにどんな蓮佛さんを魅せてくれるのか、
思わず期待してしまいますよね。


(写真・左の建物が、みなとみらいホール)

りょう  


2009年05月21日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

蓮佛さん日本フィルハーモニー交響楽団デビュー☆ 前篇

5月9日(土)みなとみらいホール・大ホールで開かれた、
日本フィルハーモニー交響楽団第247回横浜定期演奏会。



武満徹『系図~若い人たちのための音楽詩』の“語り部”として、
蓮佛美沙子さんが谷川俊太郎さんの詩を朗読します。
最近の蓮佛さんは、NHKドキュメンタリー番組のナレーションなど、
お仕事がアカデミックですよね。
いつものトークショーとは異なり、音楽を言葉で伝えるのは難しいのですが、
少しでも当日の雰囲気を皆さんにレポートできればと思います。

日本フィル&みなとみらい大ホールと蓮佛さんの声のコラボレーション、
どんなステージになるのか想像するだけでも、とっても新鮮です。


(JR桜木町駅から臨むみなとみらい地区。今年は、横浜港開港150周年記念の年。)

当日までの練習の模様は、蓮佛さんの声とともに日本フィルハーモニー交響楽団の
ホームページに掲載されていました。
(残念ながら、演奏会終了後に削除されてしまいしました。。)

一部紹介すると…
「まっさらな気持ちでできればいいなと思っています。
沼尻マエストロに言われたことをやろう、という気持ちでいます。
それを消化して本番に向かいたい。
私自身、本番でどんなふうになるのかまだ想像できませんが、
“生”というのを大事にして、心に刻み込むようにできれば、と思います。」
と本番前の決意を語る蓮佛さん。

まずはレポートの前に『系図~若い人たちのための音楽詩』の紹介を。
ニューヨーク・フィル創立150周年記念の委嘱作品で、
武満徹さん作曲による柔らかく豊穣な音楽と
伸びやかな谷川俊太郎さんの詩(うた)による
家族(ファミリィ)をテーマとした愛あふれる作品です。
1995年4月に世界初演されました。
武満徹さんは、この作品について、
「この騒々しさだけが支配的で、殆ど人工の音に浸っている日常生活を送っている、
殊に若いひとたちのために、なにか、おだやかで、肌理こまやかな、
単純な音楽が書いてみたくなったのです。
そして、その時、すぐに頭に浮かんだのが家族というテーマでした。
私たち人間にとって、どんなに時代状況が変わっても、
家族というものは素晴らしいものです。
私が意図したのは、この作品を聞いて下さる方や、
特に若いひとが、人間社会の核となるべき家族の中から、
外の世界と自由に対話することが可能な、
真の自己というものの存在について少しでも考えてもらえたら、ということでした。
そして、それを可能とするものは愛でしかないと思います。」
とお話しをされています。(氏は1996年に既に他界されています)


(ビルの海に浮かぶ日本丸)

この日、開演前のホワイエでは、ヨーロッパ文化史研究家・小宮正安氏による
“本日のオーケストラガイド”もあり、
後半のR.シュトラウス『家庭交響曲』(1904年作品)とあわせて、
家庭崩壊が始まりつつあった20世紀初頭と20世紀も終わりごろ、
それぞれの時代の家族の肖像を描いた2つの作品を、
ぜひ聞き比べて違いを楽しんでください、と紹介がありました。

続く

りょう  


2009年05月20日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

シアターキノ様にて大林監督のトークショー

先日、北海道の、
<シアターキノ17周年記念企画>
「大林宣彦――ここから始まる人びとの物語」
5/9(土)~5/22(金)
『その日のまえに』(2008)
『あした』(1995)
『異人たちとの夏』(1988)の特別上映をお知らせ致しましたが、
いよいよ明日、大林監督がシアターキノ様に登場して、
トークショー「ぼくの映画人生」と、
伝説の映画『MOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ』上映 
5/20(水)19:00~(終了予定20:40)が開催されます。

詳しくは シアターキノ様公式サイト ←こちらをクリック下さい☆

北海道地区の皆様はお楽しみがたくさんですね。


(転校生 さよなら あなた撮影時の大林監督)  


2009年05月19日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(16)映画上映

おのみちまちあるき。。。第35話「多門亭と、昔の仲間。」

おのみちまちあるき。。。第35話「多門亭と、昔の仲間。」

千光寺山にある、かつてのお茶屋「多門亭」については何度かご紹介してきました。

玄関には、今でも旧字体の行灯看板が残っています。



桜の季節もよいですが、静かな真夏の緑、
そして秋の紅葉もなかなか趣があります。




近づいてみると、閉ざされてからの長い年月を感じさせる板戸、
そしてテント屋根には「多門商店」の文字。
それより気になるのは、右奥にある何か。

硬貨を入れると動いたと思われる「お猿の駕籠や」さんの遊具ですね。
ドビンちゃんも興味津々。(というか、何かを語り合っているのかな?)




広場と多門亭が賑わっていたころ、ここには「お猿」以外にも仲間がいて、
訪れる子供たちの相手をしていました。
その「仲間」は山をおり、今は「お猿」コンビだけが残って
かつての栄華を髣髴させる多門亭を守っているのです。

山をおりた「仲間」はオバQこと、おばけのQ太郎。
今も現役で頑張っています!




1970年、千光寺新道をまっすぐおりた麓、商店街の渡し場通りと郵便局の間に
ある「多門電器商会」さんへオバQは移されました。
店前、そして位置関係からも「多門亭」との関係がうかがえます。
(店の背後が新道。小さい看板の左あたりに多門亭が見えます。)



古い機械のため時々壊れますが、その都度、電器修理の本職であるご主人
が直しているのです。(クリニック併設の高齢者用マンションのようなもの?)
ハイテク満載の今の機械と異なり構造はきわめてシンプルでしょうから、
治療もしやすいのでしょう。

お代は今も昔も変わらず10円です。
硬貨を入れると動いてくれます。(さすがに頭の「毛が三本」はもうありませんが)
現役の証拠がこの写真^^。
小さな男の子がご機嫌♪(日本以外の坊やにも。ちびっ子カウボーイ^^?)




しげぞー  


2009年05月18日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき

川越スカラ座☆トークショーレポート ⑦

この後は会場からの質問コーナー。

「娘を女優デビューさせるには?」というお母さんからの質問に、監督は。

出逢いには、それぞれ旬がある。
伸びる子・育つ子は、自分でチャンスを見つける。
そして、チャンスは周りからもやってくる。
親が頑張りすぎてはダメ。と、さながら人生相談?

自分は、オーディションが苦手でねぇ。
失礼だと思って。
だから、うちの現場はひと目惚れ。
よそのオーディションで落ちた人が受かる(笑)。
一生懸命みんなで見つめていると、その人の良さが出てくる。
素晴らしさを見つけてあげることが大切。

また、角川春樹さんとの仕事について聞かれ

自分は6本ほど仕事をしたが、見事なプロデューサーだった。
出版社の社長という立場もあり、全国の書店や本を愛する人たちのためには
「本を売るために映画をつくる」としか言えなかった。
それが、映画人からの誤解を生んだことは不幸でもあった。
角川春樹さんは、黒澤明監督をプロデュースすることが夢だったが、
二人が出会っていれば、素晴らしい日本映画の時代が来ていたかもしれないね。

自分たちの世代は、角川映画のマークと「a MOVIE」を見るだけで心が躍る。
日本映画史のなかで角川映画と大林監督との出逢いは、燦然と輝いています、とインタビュアー。

『その日のまえに』は、角川春樹さんの弟さんの映画。
今日は、角川の人も休日返上でお客さんの顔が見たくて自主的に来てくれている。

「角川映画もぜひ応援してやってください。」と監督。



最後に、地元の子どもたちから、川越のお菓子と地ビールが監督に贈呈。
子どもたちのかわいらしい笑顔に、優しく握手をされていました。

トークショー後には、パンフレット購入者を対象にサイン会も実施。
一つ一つ丁寧にサインを書かれる監督に、長い行列ができていました。



この後、川越スカラ座スタッフと監督&恭子さんとの集合写真。
しげぞーさんも20回記念と言うことで、一緒に集合写真に収まりました。

☆川越スカラ座さまのトークショーレポートはこちらから☆

川越スカラ座様公式サイト ←クリック下さい☆

スカラ座からの帰り道、大林監督と川越の古いまち並みを少し歩きながら、
つい150年前まで日本人は着物で生活していたこと、
こんなに急速に生活様式を変えてしまった国は他にない、
それも本当にごくごく最近の高度経済成長期の短い過程のなかで、
長年をかけて培われたものが失われてしまったこと、
はたまたお店の門構えなど、束の間の“まち談義”に話が咲きました。
フィルムと一緒に全国各地を巡って、キャラバン隊みたいだね、とも。


(大林監督、お疲れさまでした)

二週連続で『その日のまえに』を鑑賞し、
心から映画を楽しむことができる平和な時代に生きていることは
決して当たり前なことではなく、
先人たちの努力に感謝の気持ちを向けなくてはならないこと。
そして、それらを未来に紡いでいくことが私たちの役割でもあることを心に強く感じた、
大林監督との出逢いとなりました。
りょう  


2009年05月17日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

川越スカラ座☆トークショーレポート ⑥

インタビュアーの、「おじいちゃんがとし子と言う名前をつけたから、ママは死んでいくの」
この言葉を聞いたとき、残酷なシーンだなぁと思った、との感想に。

映画だから残酷な“シーン”で済む。
だけど映画を創るほど残酷なことはない。
それは、人の人生を借りて別の人生を描くものだから。
黒澤明さんや淀川長治さんら先輩たちは、
映画の恐ろしさに打ち震えながら、映画を創り、観てきた。
そこには、ものを創る“楽しさ”と“見識・畏れ”の両方があった。
これは、映画の芸術としての大事な要素でもある。

「ウソからでたマコト」が映画という芸術の役割ではあるが、
1960年代以降、願いや夢が信じられない時代が続き、
映画の夢に裏切られた人たちは現実世界に逃避し、
映画も喧嘩や破壊、殺戮や戦争などのホントらしいものを求めるようになった。
その結果、9・11テロで、テロリストが映画の夢を盗み、映画が戦争と同じになってしまった。

ここで、いつものジョージ=ルーカスさんの話題を出しながら…
映画が、平和と戦争、生と死をもてあそんではいけない。
映画をひとつ創るには、ビル1軒ほどの資材が必要になる。
だから、商売になることで成立していることは仕方のないことでもある。
だけど、「当たらないといけない」ということが、映画をおかしくもしている。

「淀川さんの生きていた時代の映画を、
いま一度検証しないと、日本映画がとんでもないことになる。」

幸いにも、いまの若い人たちからは、文明や経済に対する疑問の声が出始めている。
人間が美しく生きるための文化を護ろうとするこの動きに、
まずは映画という文化が動かなくてはならない。

黒澤明さんは、「本当の良い刀は、鞘に収まっているもの」と言った。
戦後60年、日本人は抜き身の刀の如く、金と物で生きてきた。
刀を鞘に納める力が文化であり、刀の納め方を描くのが映画の役割である。
いまこそ良い日本人は、刀を鞘に納めなくてはならない。

自分は、黒澤さんや淀川さんから勇気をもらってきた。
今度は、あなたのような世代が、いまの若い人たちに勇気を与えてほしい。
自分も、淀川さんのような存在でありたいと思う。
と結ばれました。



続く

りょう  


2009年05月16日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

川越スカラ座☆トークショーレポート ⑤

続いて、市川森一さんの脚本のお話に。ここでも詳しくは避けますが、
ラストのとし子のシーンについて、

現実の人生でも、死んだ人は、ちゃんと心の中で生きている。
人間、前ばかり見ている。でも、ふり返らなければ、
亡くなった人も頭の後ろにきちんといるんです。
人間には、「観察する力」と「想像する力」の両方が備わっている。
目に見えるものだけを信じる傾向にある情報化社会では、「観察する力」ばかりを使っている。
(人間の目・鼻・口・そして耳まで、すべて前を向いてついているね。
人間は元々変な生き物なんです。とも)
映画も映像のひとつ。
だから情報にもなってしまう。
だけど、映画の役割は、目に映っていない「想像する力」を描くもの。
CGでも、心のなかは描けない。
想像すれば、見えないはずの心も見える。
映画は、その目に見えないものを手繰り寄せ、
心の中で観てもらい、感動してもらうものである。

だから、今回の『その日のまえに』も、現実としてつながらないことは当たり前。
ストーリーではなく、心の中でつながってくれれば良い。
これが映画としての本当のシナリオでもある。



話は、宮澤賢治さんへ…
脚本の市川さんが、原作小説中の宮澤賢治「永訣の朝」で7編を
まとめられたことは、この日記でも何度か触れています。
小説ではこの「永訣の朝」以外にも、駅長くんは銀河鉄道、
筧さんや今井さんの役は宮澤賢治的登場人物であり、
また海岸のシーンは、宮澤賢治のおじいちゃんが溺れた子どもを
助けようとして海で亡くなられていることにもつながる。

「もしかして、原作も宮澤賢治つながり?」と監督も思ったそう。
これに対し、原作の重松清さんは、
「そこまで気がついてなかった。でも、そんな予感がきっとあったのでしょうね。」

映画とは、つじつまの合った夢。
偶然も出来上がるとつじつまが合ってしまうものなんだよ、と監督。

ここで、インタビュアーからも、最近新しい宮澤賢治の詩も発見されました、との話に監督も、
「つじつまが合ってくるもんだねぇ」と大変驚かれていました。


(上映作品紹介の手作りのポスターも。
作品の重要なモチーフとなるたんぽぽがとっても温かい絵です。)

また、『クラムボン』の音楽についてのエピソードもお披露目されました。
監督は、いつか宮澤賢治の『クラムボン』を映画化したいと心に秘められていたそう。
それは、『クラムボン』は具体的な姿・形が一切描かれていないから。
(その理由は、しげぞーさんによる深谷シネマレポートにも記されていましたね。)
だから、セロ弾きの名前は『クラムボン』に。

それを聞いた事務所の若い助監督さんが、
「いいですねぇ。クラムボンの歌、聴きたいなぁ」と、『クラムボン』誤り(笑)。
それで、監督も音楽グループの『クラムボン』の存在を知り、作曲してもらうことに。

これも、偶然のつじつま、運命の仕掛けだね。


(この日、ロビーも活気にあふれていました。)

続く

りょう  


2009年05月15日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

川越スカラ座☆トークショーレポート ④

そして、キャスティングの話に。
『その日のまえに』のキャスティングの話は、
このブログでもたびたび触れているので詳細は避けますが、
「スタートからカットの声まで、俳優さんの人生を借りて映画を創っている」だから、
他人の人生を背負う覚悟がなければ、
「よーい、スタート!」の声はかけられない。
だからこそ、なまじの人とは仕事はしたくない。
「キャスティングも出逢い。俳優さんとの出逢いが、僕の人生をつくっている。
それが映画となるんだね。これからも大事な俳優さんとの出逢いを大切にしていきたい」と監督。

そう言えば…と、
『その日のまえに』には、大林監督の作品でデビューした役者さんが11人も出演されているそう。
「後から気付いてびっくりしちゃった。俺も長生きしちゃったなぁ」と監督。
最古参が、お惣菜屋役の小林かおりさん。
最年少が、女子高校生役の寺島咲さん、とのことです。

また、川越だけに、当然多部未華子さんの話題にも。
実は多部さんは、大林監督の『理由』で、
寺島咲さんとともに映画女優デビューされているんですね。
監督が教壇に立つ、この近くの大学での今年の入学式の挨拶が
「皆さん、多部未華子さんのような良い学生になってください」だったそう。
「でも、本当にイイ子ですよ」と監督。


(町なかに貼り出されている『つばさ』のポスター。何回もPRしちゃいます・笑)

りょうとしては、大林組総出演の『その日のまえに』に、
蓮佛美沙子さんが出演されなかった理由を監督に聞いてみたいところです。
(連続ドラマのスケジュール? 
それとも新人デビューさせた女優さんは1年間使わないと決めていたから?)

ここで、監督が最前列のしげぞーさんを見つけ、
「あっ、いた!」。しげぞーさんが、この日20回目(!)の鑑賞となることを紹介し、
「後でこの映画のことを聴いてみようかな。僕より詳しいと思う(笑)」

でも、何回も観ることは大事なこと。
最近は、テレビの影響で1回観れば分かってしまう映画が多い。
これでは、つまらない。
昔の映画は、お年寄りから子どもたちまで、誰が見ても面白く観られるように創られていた。
そういった意味で、子ども向き・大人向きなどの映画はなかった。
子どもは子どもなりにと、色々な見方ができたからこそ、何度観ても面白かった。
それが、「映画の知恵」でもある。
だけど、今の時代そんな映画は、「話が分かりにくい」として、
批評家や業界人にも認められづらい。

新宿での封切りの際、映画館の館主さんから、
「このごろは、映画を観終わっても、階段を降るお客さんからは、
この後どこで食事をするかなど映画以外の会話しか聞こえてこなかった。
でも、『その日のまえに』では、何十年かぶりにお客さんがいま観た
映画の話をしながら帰る姿を見た。すごく嬉しかった。」との言葉を頂戴したそう。



続く

りょう  


2009年05月14日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

川越スカラ座☆トークショーレポート ③

《町の魅力の再発見》

しげぞーさん、素敵なまち巡りレポート、ありがとうございました。
さて、川越スカラ座さまは、そんな蔵造りの古いまち並みが残された
“小江戸”川越の真ん中、有名な『時の鐘』のすぐ近くにあります。


(映画館前には開場を待つ長い列が…)

川越スカラ座は、明治38年寄席『一力亭』として開館。
最盛期の川越には10箇所もの劇場がありましたが、平成15年からは
人口30万人都市川越唯一の映画館として、地域の娯楽文化を支えてきました。
平成19年5月27日にいったん閉館となるも、
同年8月18日川越の映画館の火を消すまいと地域の若者たちの手により復活。
現在は川越唯一のまちなか映画館として、NPO法人プレイグラウンドさんが経営されています。
木造ではありませんが、長野ロキシーさんのように
100年以上の歴史と雰囲気のある映画館です。


(館内には座席を取り外してテーブルも。お弁当を広げながら、観劇のようですね。)

また、映画の魅力をより多くの人に伝えるためにファンとの交流を大切にしており、
大林宣彦監督をはじめ、『パッチギ』の井筒和幸監督や『夕凪の街・桜の国』の
佐々部清監督など、数多くの映画監督さんが来館されています。



『その日のまえに』本編上映後、大林宣彦監督がインタビュアーの方とともに登場。
いつものように、スクリーンに手を合わせ、
124席入る劇場を一杯に埋めた観客からの拍手に手を振って応えられていました。

まずは、「皆さん、こんにちは。大林宣彦です。
今日は、500本もの日本映画の中からこの映画を選んで
観に来てくださった皆さんのお顔を見たくて川越に来ました。」と挨拶。

先日の高崎映画祭&深谷シネマレポートと内容が重複している部分もあるので、
ポイントだけレポートさせていただきますね。

この日のお話しのキーワードは、偶然の“出会い”や“つながり”
大林監督の、映画や人に対する優しさにあふれたトークショーでした。

ご自身もシナリオライターの仕事をされているインタビュアーの方は、
82年の公開時に『転校生』を観て、いつか大林監督と仕事がしたいと思い、
この世界に入られたそう。
しかし、運命は面白いもので、大林監督とではなく、
当時『転校生』と二本立てで公開された『オン・ザ・ロード』の和泉監督と、
10本ほど仕事をすることになった。
「人生、思った通りにはなかなかいかないものだね(笑)」とインタビュアーの方。

話題は、『オン・ザ・ロード』つながりで、『その日のまえに』にも
出演されている山田辰夫さんのお話に。
山田辰夫さんは、この『オン・ザ・ロード』に出演されていて、
映画を観た大林監督も「いい役者だなぁ。
でも、私の映画には出てくれないだろう」。
また、山田さんも「『転校生』のような映画に出たいけど、
自分は大林映画とは縁がないだろうなぁ。」と思われたそう。
それが、2004年の『理由』で初めて一緒に仕事をすることとなり、
いまではすっかりレギュラーに。
「同じ映画の世界にいても、縁があるようでなかなかないものだね」と監督。


(124名を収容できる劇場館内)

続く

りょう  


2009年05月13日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ

川越スカラ座☆トークショーレポート ②

多部さん、最近は住宅やファーストフードのCFやいろいろな
お役所のポスターなど目にしない日がないほどですが、
NHK大河「篤姫」の宮崎あおいさんと同じ事務所の後輩、
大林作品「理由」でデビューしました^^。
「理由」では、駅長君・・・もとい、しばらく見ないうちに
すっかり背丈が伸びた厚木卓郎くん演じる小糸孝弘少年が、
母親(吹雪ジュンさん)の指示でマンションのゴミ置き場に捨てたラジカセを拾おうとする、
ウエストタワー810号室の少女・篠田いずみ役、当時から目力の強さは印象的でしたね^^。

「まだ新しいけどホントに捨てちゃうの?私が拾ってもいいよね。もったいないじゃん。」
「だめだよ拾っちゃ。このラジカセはちゃんと捨てないとお母さんに怒られるんだ。」
「ヘンなお母さんだね。ものを粗末にしろっていうの?」
「そうじゃないけど・・・。」
「じゃあ私拾ってくよ。捨てた物を拾うのは拾う者の自由じゃない。」・・・などと
いうやりとりを思い出します^^。

その後いくつもの映画やドラマに出演して活躍の場を広げているのはご存知の通りです。
(以前奈良のロケ地をご紹介したドラマ「鹿男あをによし」で、通学途中鹿に話しかけられ
<鹿のつかい番>にされてしまった女子高生・堀田イト役が印象に残っています^^)

さて、川越に話を戻しましょう。
東京から川越に抜ける国道254号線、
上野広小路~東京ドーム近くの春日経由池袋までは「春日通り」、
池袋から川越までは「川越街道」と呼ばれます。
「春日」(今流行のあのコメディアン氏ではありません(笑))には
徳川3代将軍家光の乳母・春日局の居宅があったと言われ沿道には銅像も建っています。
江戸城で有名な太田道灌の築城した川越城は江戸から近く、
幕府・将軍家に近い人物が代々城主をつとめていました。
松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など幕府の要職についた藩主もいました。
関東七名城の1つに数えられましたが現在は本丸御殿が残るのみです。

近くにある天台宗の寺院・喜多院は、徳川家や日光、江戸の風水的設計とも
関係が深いといわれる天海僧正ゆかりのお寺。



幕府の庇護が篤く寛永の大火で境内のほとんどを焼失した時には
家光の命で江戸城内の紅葉山から客殿、書院などが移築されました。
客殿には将軍家光誕生の間と言われる部屋や春日局の間を含む書院も遺されています。
江戸城自体焼失して現存しない今、川越の喜多院境内は当時の江戸城唯一の遺構です。



広い敷地には立派な本堂に見事な多宝塔など数々の立派な堂宇(そして春には桜が見事です!)。
また、かつて某CMでも登場した「耳打ちする羅漢さま」をはじめとする
生き生き人間味あふれる五百羅漢の石像群など。




裏手にまわると周囲はいざとなれば籠城もできるよう周壕で囲まれています。
江戸時代、喜多院は川越城の出城としての機能も持たせていたようです。
今は水もなく空壕のようですが、かなり深く大きな水壕であったことがわかります。
(各地の城跡などをまわったことがありますので、
中世や近世の城や館の痕跡の雰囲気にはぴんときます^^)
川越城や喜多院には昔から七不思議の伝承がありますが、
それとは別にここに来るといつも気になるのが・・・。



駐車場にある三角コーン。
一見どこにでもある風景・・・
でも何か違和感を感じませんか?
奥のほうにご注目を。



この三角コーン、実は2m近くあります。
シュールです(笑)。

続く

しげぞー&りょう  


2009年05月12日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ