ながのまちあるき ~松代東条荒町界隈~ ①
ながのまちあるき、“転校生 さよならあなた”のロケ地、善光寺門前と
松代町を中心にお届けしていますが、本日からは松代町東条荒町界隈をお届けします。
東条荒町は真田家が治める前の、中世東条尼飾城下の外町として
町並が建設された当初は“新町あらまち”と称されましたが、
その後時代が進み海津城下(松代城)が建設されると町名は“荒町あらまち”と変わり、
南東の守りの町として下級武士の屋敷が置かれました。
松代は武家屋敷が多いですが、ここ荒町は近世のもっと庶民的な当時の暮らしが偲ばれる
古い家が沢山残されており、楽しいまちあるきです。
松代藩の重臣の望月氏や恩田氏の下屋敷跡もありますが、その屋敷跡の
小路は屋敷のあった頃と変わらない風景が魅力です。
まずは青垣公園に集合して、長野県文化財保護指導員の丸山日出夫先生の案内で
まちめぐりに出発です。
主要地方道長野・真田線を歩き、前方には山城がかつてあった
のろし山、舞鶴山、雨飾山がそびえています。
梅の観音様のところを曲がり、荒町へ。
まず民家がみえますが、三寸にも満たない細い柱が用いられています。
質素倹約を旨とした近世の松代の代表的な建築だそうです。
たぶん大正時代に造られただろう門柱が見えてきました。
冠木が鉄製ですが、アールヌーヴォーを意識したモダンなデザイン。
そしてあちこちに立派な蔵がありますが、軒裏には見事な鏝絵が施されています。
この鏝絵は火事からの守りを祈念した水神様の龍です。
江戸から流れてきた鏝絵の技術を持った野本勇太郎の技術が評判となり、
松代の人に乞われ住み着いたそう。
土蔵の壁が乾かぬうちに鏝1本で絵を描く鏝絵は難しく、大変貴重です。
立派な蔵が多く、蔵巡りも楽しいです。
つづく
松代町を中心にお届けしていますが、本日からは松代町東条荒町界隈をお届けします。
東条荒町は真田家が治める前の、中世東条尼飾城下の外町として
町並が建設された当初は“新町あらまち”と称されましたが、
その後時代が進み海津城下(松代城)が建設されると町名は“荒町あらまち”と変わり、
南東の守りの町として下級武士の屋敷が置かれました。
松代は武家屋敷が多いですが、ここ荒町は近世のもっと庶民的な当時の暮らしが偲ばれる
古い家が沢山残されており、楽しいまちあるきです。
松代藩の重臣の望月氏や恩田氏の下屋敷跡もありますが、その屋敷跡の
小路は屋敷のあった頃と変わらない風景が魅力です。
まずは青垣公園に集合して、長野県文化財保護指導員の丸山日出夫先生の案内で
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のろし山、舞鶴山、雨飾山がそびえています。
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質素倹約を旨とした近世の松代の代表的な建築だそうです。
たぶん大正時代に造られただろう門柱が見えてきました。
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そしてあちこちに立派な蔵がありますが、軒裏には見事な鏝絵が施されています。
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土蔵の壁が乾かぬうちに鏝1本で絵を描く鏝絵は難しく、大変貴重です。
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つづく
西の門市開催!
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2010年02月10日 Posted byひがしざわ at 08:00 │Comments(0) │まち巡り
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