「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

2010年11月28日に長野郷土史研究会様が開催された
「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」に参加して参りました。
ながのまちあるき初の上田編として様子をお伝えしたいと思います。

天気予報では雨の予報となっていたのでお天気が心配されましたが、
さすが晴天率が高いので多くの映画監督がロケに訪れた映画のまち上田市、
青空がのぞき、まちあるきにはいい日になりました。
長野市、上田市をはじめ各地から40名ほどの皆様が参加され、朝9時45分に上田駅に集合し、
長野郷土史研究会様の小林一郎会長にご案内頂き、元気に出発です。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

まずは上田のまちの成り立ちについてご説明頂きました。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

真田昌幸により天正11年(1583年)に上田城が築城され、城下町として発展しましたが、
他のまちから人を移住させて、人為的につくったまちだそうです。
たとえば海野宿の人が移住してきたところは元海野というように、地名に残っています。
旧北国街道が通り、人や物の交流が盛んで、商業の中心地でもありました。

そして明治につくられた上田駅の場所はかつて千曲川の河川敷だったところで、
駅からゆるやかに登る水害の心配の少ない高台のほうにまちが発展しました。

上田駅の付近にかつての町名の説明看板がありました。
「蚕影町こかげちょう」、
なるほど養蚕業が盛んで蚕都上田と呼ばれるのにふさわしい町名ですね。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

そこから最初に訪ねる「毘沙門堂」に向かって「権現坂」と言われる坂を登っていきます。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

上田も歴史を感じさせる建物が多く残っています。
和風があり、洋風もあり、建築好きにはたまりません。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1
「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1
「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

そんなきょろきょろしていて遅れがちのひがしざわや、のんびり坂を登る方を
小林玲子幹事様は歩調を緩めて、優しく寄り添って下さいます。
長野郷土史研究会様が主催されるまちあるきはいつも暖かい心遣いが感じられ、
心に残る楽しいまちあるきとなります。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

北国街道に面した「毘沙門堂」に到着致しました。
大切にお守りしている地域の方がお話を聞かせて下さいました。
ここに活文禅師(かつもんぜんし)が寺子屋であった多聞庵を開き、
松代から地蔵峠を抜けてこの上田の地に通い、佐久間象山や山寺常山、高井鴻山らが学んだそうです。
また活文禅師は松代藩士森家に生まれ、出家して長崎に遊学し、
修行をつんで信州に戻られた高名な学僧であったそうです。
地域の方もここに立派な寺子屋があったと誇らしげです。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1
「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

佐久間象山や活文禅師の碑がありました。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1
「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

「毘沙門天」様にお参り致します。

「上田城下の恵比寿・大黒・弁天・毘沙門天めぐり」 1

続く



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2011年02月10日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)まち巡り

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