長岡百花繚乱の紀~『深谷シネマ・トークイベント』 レポート③
大林:「今日は、長岡の市民や行政の方々が、里の映画を皆さんが観てくださるというので、表の庭に自主的に来られています。私も今日は久々にお会いして、「撮影のときに車を運転してくださったあなた。」と再会ができましたが、いらっしゃいますか。」
ここで、長岡のスタッフが登場。拍手で迎えられます。
「皆さん、これから深谷で映画を撮ることもあるかもしれませんが、この人は市役所の方なのですが。」
と、大林監督と市長から、「せっかく来たのだから、長岡の宣伝もしないと」とマイクを向けられます。
「皆さん、こんにちは。遠いようで近い長岡からやってまいりました。2時間で来られます。機会を見てわたくしもまたこちらにお邪魔したいと思います。とにかく昨日のネギが美味しかったです。この映画は、たくさんの方に観ていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。」
大林:「エピソードは色々あるのですが、この映画の中で、犬塚弘さんが土手の上で「ワシは日本男児だ」と言っているところがありましたでしょう。あの丘の場所がなかなか無くて、下が防空壕になっていて上が土手になっている。ようやく見つけたところがあそこなのですが、あの場所に来るまでに200mあって、その道路が、雑木がこんなになっている、草もこんなになっている、馬も牛も歩けないような土手なのです。でも、何とかして犬塚さんをあの場所に置きたい。さあどうする。その夜、撮影でした。夜に着いたら、道が作ってあるのです。彼が一人で作っていたのです。この人がひとりでやったから偉いということではないですよ。他の人たちも他の場所でこういうことをされていたということなのですよね。そういう力が結集して、こういう映画ができた。さらにそれに感動した俳優たちが、大林映画にまた出たい、とおっしゃってくれているというのも、そういう力ですね。長岡魂です。不思議じゃないですよ。去年の花火を上げたのも。本当に、見事でしたね。」
この言葉に、会場からは拍手が。

(会場内には、長岡花火を紹介するブースも)
大林:「市民代表として、長岡映画製作委員会という会を作ってくださって、この映画を一緒に創った訳ですが、その代表の渡辺千雅さんも会場にいらっしゃいます。ここに来ているのは、ほんの一部の代表ですが、このような熱い想いで一緒に映画を創ったというのは、やはり都市には志があるのですね。都市の志、それが大事です。日本にも志があったはずですが、その志が見えなくなっているということが、不安ですよね。やはり、志は探していかなくてはならない。それは、あの時の東日本大震災の被災者の方たちは、見事な志を全世界に向けて発信されましたよね。だから、日本は素晴らしい、日本人は素晴らしい、と。どんなにお金をばらまいても、負けた国だから、銃を持たないで、お金だけ出すのは当たり前、と感謝もされなかった日本人。つまり負けた国というのは、対等な外交ができないのですね。ところが、お互いの国を心から尊敬しあって、困ったときには手を差し伸べあおうという本来の外交の姿を見せたのが、あのときの東日本の被災地の方たちなのですね。そういう力が、私たち日本人の魂の中にあった訳ですから、私たち一人ひとりがそういう力を活かして、賢い美しい国民になっていけば、我々の代表である行政の市長さんも、このように美しいひとりの人であられるはずですし、組織になると、ついつい間違った方向に行ってしまうのですが、一人ひとりの力が、一人ひとりの自由な立場で結束していけば、大きな力になる。これからの日本は、きっとそういうことではないだろうかと思うのです。お一人おひとりが、それぞれの喜びや悲しみを持って映画館に座れば、一本の映画が映画館の中にひとつの世界ができるように、皆さんがいま映画館の客席に座っているように、自分の一番正直な気持ちを大事にされていらっしゃれば、市長さんも、その同じ席に座って映画を観てくださる。」
市長:「おそらく、どんなに勉強しても、どんなに色々と本を読んでも、やはりその現実現実を本当に感じることには叶わない。おっしゃるとおり、おそらく皆さんには、それぞれに様々な人生が今まであって、被災地に行けば被災地で感じる部分がある。私は、監督の映画を観ても思うのですが、やはり自分で行ってみて、感じて、やっていかないといけないと思っています。「皆と話し合ってやっていくんだ」と口先ばかりではなく、やはり、そういう部分は必要なのだと思います。だから、日本が、世界に発信する外交の部分であっても、本当に、日本人一人ひとりが、どういう暮らしをして、どういう風に色々と頑張ってきたのかということを、色々なものを通じて見てみたいなと思います。」

(併せて設置された『この空の花~長岡花火物語展』)
(りょう)
つづく
ここで、長岡のスタッフが登場。拍手で迎えられます。
「皆さん、これから深谷で映画を撮ることもあるかもしれませんが、この人は市役所の方なのですが。」
と、大林監督と市長から、「せっかく来たのだから、長岡の宣伝もしないと」とマイクを向けられます。
「皆さん、こんにちは。遠いようで近い長岡からやってまいりました。2時間で来られます。機会を見てわたくしもまたこちらにお邪魔したいと思います。とにかく昨日のネギが美味しかったです。この映画は、たくさんの方に観ていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。」
大林:「エピソードは色々あるのですが、この映画の中で、犬塚弘さんが土手の上で「ワシは日本男児だ」と言っているところがありましたでしょう。あの丘の場所がなかなか無くて、下が防空壕になっていて上が土手になっている。ようやく見つけたところがあそこなのですが、あの場所に来るまでに200mあって、その道路が、雑木がこんなになっている、草もこんなになっている、馬も牛も歩けないような土手なのです。でも、何とかして犬塚さんをあの場所に置きたい。さあどうする。その夜、撮影でした。夜に着いたら、道が作ってあるのです。彼が一人で作っていたのです。この人がひとりでやったから偉いということではないですよ。他の人たちも他の場所でこういうことをされていたということなのですよね。そういう力が結集して、こういう映画ができた。さらにそれに感動した俳優たちが、大林映画にまた出たい、とおっしゃってくれているというのも、そういう力ですね。長岡魂です。不思議じゃないですよ。去年の花火を上げたのも。本当に、見事でしたね。」
この言葉に、会場からは拍手が。

(会場内には、長岡花火を紹介するブースも)
大林:「市民代表として、長岡映画製作委員会という会を作ってくださって、この映画を一緒に創った訳ですが、その代表の渡辺千雅さんも会場にいらっしゃいます。ここに来ているのは、ほんの一部の代表ですが、このような熱い想いで一緒に映画を創ったというのは、やはり都市には志があるのですね。都市の志、それが大事です。日本にも志があったはずですが、その志が見えなくなっているということが、不安ですよね。やはり、志は探していかなくてはならない。それは、あの時の東日本大震災の被災者の方たちは、見事な志を全世界に向けて発信されましたよね。だから、日本は素晴らしい、日本人は素晴らしい、と。どんなにお金をばらまいても、負けた国だから、銃を持たないで、お金だけ出すのは当たり前、と感謝もされなかった日本人。つまり負けた国というのは、対等な外交ができないのですね。ところが、お互いの国を心から尊敬しあって、困ったときには手を差し伸べあおうという本来の外交の姿を見せたのが、あのときの東日本の被災地の方たちなのですね。そういう力が、私たち日本人の魂の中にあった訳ですから、私たち一人ひとりがそういう力を活かして、賢い美しい国民になっていけば、我々の代表である行政の市長さんも、このように美しいひとりの人であられるはずですし、組織になると、ついつい間違った方向に行ってしまうのですが、一人ひとりの力が、一人ひとりの自由な立場で結束していけば、大きな力になる。これからの日本は、きっとそういうことではないだろうかと思うのです。お一人おひとりが、それぞれの喜びや悲しみを持って映画館に座れば、一本の映画が映画館の中にひとつの世界ができるように、皆さんがいま映画館の客席に座っているように、自分の一番正直な気持ちを大事にされていらっしゃれば、市長さんも、その同じ席に座って映画を観てくださる。」
市長:「おそらく、どんなに勉強しても、どんなに色々と本を読んでも、やはりその現実現実を本当に感じることには叶わない。おっしゃるとおり、おそらく皆さんには、それぞれに様々な人生が今まであって、被災地に行けば被災地で感じる部分がある。私は、監督の映画を観ても思うのですが、やはり自分で行ってみて、感じて、やっていかないといけないと思っています。「皆と話し合ってやっていくんだ」と口先ばかりではなく、やはり、そういう部分は必要なのだと思います。だから、日本が、世界に発信する外交の部分であっても、本当に、日本人一人ひとりが、どういう暮らしをして、どういう風に色々と頑張ってきたのかということを、色々なものを通じて見てみたいなと思います。」

(併せて設置された『この空の花~長岡花火物語展』)
(りょう)
つづく