長岡百花繚乱の紀~『うえだ城下町映画祭・親子トーク』②
そして、映画祭は、『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』、『HOUSE ハウス』と上映が進み、いよいよ大林宣彦監督と大林千茱萸さんによる親娘対談です。
この日のトークショーは、『映画永遠(とは)?』をテーマに進められました。

まずは司会のフリーアナウンサー大岩堅一さんから、
「今日は、大林宣彦監督の作品を朝から上映させていただいているのですが、このうえだ映画祭にゲストとしてお越しいただいたのは、確か2回目ということでしたね。何年前になりますでしょうか。」
という投げかけでスタートです。
「今回で2回目でしたか。上田の皆さん、ただいま。」と声掛けする大林監督に、会場からは「おかえりなさい!」の声が。
そして、初めて上田に来られた際のエピソードを披露します。
「最初に来た時のことを、先ほども市長とお話しをしていました。私と恭子さん、プロデューサーでこの人の母ですが、車で会場に来た時に、誰もいらっしゃらないのですね。どこに行ったら良いのか分からなくて、外で20分ぐらいウロウロしていたのです。そうしたら、20~30分してから、係の方が「監督、いらっしゃっていましたか」と言って迎えに来てくれたのですが、「僕は、ずっと前から来ていましたよ!」といささかムッとして、「誰も迎えに来ないじゃないか」と言ったのですが、係の人は「私たち、今、映画を観ていましたから」と。「私たちが観たいから、映画祭をやっているのです。入口でお迎えするなんてとんでもない」と。これは、嬉しかったですね。好きな人がこうやって映画を観てくださるということで、迎えてくださった。私は、全国に行って、この話をするのですよ。「上田映画祭は、係の人が誰も迎えに来ないのです。みんな映画を観ているから。こんなに良い映画祭はないよ」と。もう10年以上も昔の初めの頃のことですよね。」
「ありがとうございます。あちこちでどんどん言っていただいて結構です(笑)。上田のスタッフも、そういう形でお迎えしたというか、お迎えできなかったというか、そんな感じですね。」と笑いながら話す司会の方。
続けて、「毎年、自主制作映画コンテストの審査員をやっていただいていますけれども、もう、上田はずっとですものね。」と聞かれた千茱萸さん、
「今回で10回目になります。10回も続けるということは、本当に大変なことだと思うのですが、毎年やっていただいているので、私も真剣に自主映画を毎年100本近く観させていただいています。」
「準備の段階から全部観ていただくというのは、本当に大変な作業だと思うのですが、いかがですか。」と聞かれて、
「作品を観るというのは、本当に決まった時間だけですが、映画を創るのには、作品の上映時間以上に、もの凄い時間がかかっているので、その想いを、観る側も真剣に受けとめて、一所懸命に観ています。」と制作者を気遣う千茱萸さん。
トークショー前に上映された、第十回自主制作映画コンテスト大賞作品について、「大林監督も、幼いころから自分で映画を創られていたということですが、プロの目から見て、今日のグランプリ作品はいかがでしたか。」と聞かれた大林監督、
「先ほどのグランプリ作品(『小野寺たまこの初恋』)を観させていただいて、実は、今日は東京から恭子さんの車の運転で来たのですが、紅葉が綺麗でね。本当に幸せな良い時間を過ごしてきて、それで、私は『中山道』を想い出したのですよ。『中山道』というのは、私が50年以上も昔に8ミリで創った自主映画で、8ミリの代表作なのですが、それをふと想い出したのですね。50年前も、あれはスバルの260と言いましたか、まだ軽自動車が出始めたばかりの頃で、マイカーという言葉が出た頃です。自分の車を持って走るということが、日本ではようやく始まった頃ですから、昭和40年代ぐらいでしょうか、そんなことを想い出しましたら、今日は自主映画の会ということで、私も自主映画時代のことを想い出していたら、今日の皆さんも大学の映画研究会だったりと様々ですが、私がその頃に撮った8ミリのフィルムも、19・20・21歳という頃に創っていた映画で、実は、今度ニューヨークに行くんだよね。」

(紅葉の見ごろを迎えた上田市内)
「そうですね。ニューヨークに『MoMA』と言う一番大きな近代美術館があるのですが、そこで監督の撮った自主映画をアーガイブで何本か上映をしていただけるという話が、海の向こうから突然やってまいりました。」と千茱萸さん
(りょう)
つづく
この日のトークショーは、『映画永遠(とは)?』をテーマに進められました。

まずは司会のフリーアナウンサー大岩堅一さんから、
「今日は、大林宣彦監督の作品を朝から上映させていただいているのですが、このうえだ映画祭にゲストとしてお越しいただいたのは、確か2回目ということでしたね。何年前になりますでしょうか。」
という投げかけでスタートです。
「今回で2回目でしたか。上田の皆さん、ただいま。」と声掛けする大林監督に、会場からは「おかえりなさい!」の声が。
そして、初めて上田に来られた際のエピソードを披露します。
「最初に来た時のことを、先ほども市長とお話しをしていました。私と恭子さん、プロデューサーでこの人の母ですが、車で会場に来た時に、誰もいらっしゃらないのですね。どこに行ったら良いのか分からなくて、外で20分ぐらいウロウロしていたのです。そうしたら、20~30分してから、係の方が「監督、いらっしゃっていましたか」と言って迎えに来てくれたのですが、「僕は、ずっと前から来ていましたよ!」といささかムッとして、「誰も迎えに来ないじゃないか」と言ったのですが、係の人は「私たち、今、映画を観ていましたから」と。「私たちが観たいから、映画祭をやっているのです。入口でお迎えするなんてとんでもない」と。これは、嬉しかったですね。好きな人がこうやって映画を観てくださるということで、迎えてくださった。私は、全国に行って、この話をするのですよ。「上田映画祭は、係の人が誰も迎えに来ないのです。みんな映画を観ているから。こんなに良い映画祭はないよ」と。もう10年以上も昔の初めの頃のことですよね。」
「ありがとうございます。あちこちでどんどん言っていただいて結構です(笑)。上田のスタッフも、そういう形でお迎えしたというか、お迎えできなかったというか、そんな感じですね。」と笑いながら話す司会の方。
続けて、「毎年、自主制作映画コンテストの審査員をやっていただいていますけれども、もう、上田はずっとですものね。」と聞かれた千茱萸さん、
「今回で10回目になります。10回も続けるということは、本当に大変なことだと思うのですが、毎年やっていただいているので、私も真剣に自主映画を毎年100本近く観させていただいています。」
「準備の段階から全部観ていただくというのは、本当に大変な作業だと思うのですが、いかがですか。」と聞かれて、
「作品を観るというのは、本当に決まった時間だけですが、映画を創るのには、作品の上映時間以上に、もの凄い時間がかかっているので、その想いを、観る側も真剣に受けとめて、一所懸命に観ています。」と制作者を気遣う千茱萸さん。
トークショー前に上映された、第十回自主制作映画コンテスト大賞作品について、「大林監督も、幼いころから自分で映画を創られていたということですが、プロの目から見て、今日のグランプリ作品はいかがでしたか。」と聞かれた大林監督、
「先ほどのグランプリ作品(『小野寺たまこの初恋』)を観させていただいて、実は、今日は東京から恭子さんの車の運転で来たのですが、紅葉が綺麗でね。本当に幸せな良い時間を過ごしてきて、それで、私は『中山道』を想い出したのですよ。『中山道』というのは、私が50年以上も昔に8ミリで創った自主映画で、8ミリの代表作なのですが、それをふと想い出したのですね。50年前も、あれはスバルの260と言いましたか、まだ軽自動車が出始めたばかりの頃で、マイカーという言葉が出た頃です。自分の車を持って走るということが、日本ではようやく始まった頃ですから、昭和40年代ぐらいでしょうか、そんなことを想い出しましたら、今日は自主映画の会ということで、私も自主映画時代のことを想い出していたら、今日の皆さんも大学の映画研究会だったりと様々ですが、私がその頃に撮った8ミリのフィルムも、19・20・21歳という頃に創っていた映画で、実は、今度ニューヨークに行くんだよね。」

(紅葉の見ごろを迎えた上田市内)
「そうですね。ニューヨークに『MoMA』と言う一番大きな近代美術館があるのですが、そこで監督の撮った自主映画をアーガイブで何本か上映をしていただけるという話が、海の向こうから突然やってまいりました。」と千茱萸さん
(りょう)
つづく