おのみちまちあるき。。。第28話「出雲屋敷。」
先回もご紹介したとおり、千光寺山南斜面には松江藩の役人の宿泊所だったといわれる
通称「出雲屋敷」が広い敷地を占めておりました。
明治以降「出雲屋敷」がなくなった後、豪商・地元の名士の方々などが
別荘を次々に建てたわけです。
千光寺新道の桜、石垣に勝るとも劣らない見事さです。
自然と人智、どちらも。。。


石段をのぼり「暗夜行路」の四辻から横(東)方向に路地が伸び、
2代目の千光寺道までつながっています。
この道も映画によく登場します。
「転校生」でカズオが自転車で疾走し、
「あの夏の日」では大井家がこの途中にある(文学記念堂)との設定で、
マドンナ・ミカリの胸ポケットに首尾よく弥勒さまの小指を入れた賢司郎おじいちゃんが
「夢のまきまきに~♪」と踊っていたのも、この路地です。


千光寺道の元・看護士寮すぐ上、路地を入った奥まったところに出雲屋敷の塀と門が
ひっそり残されています。

出雲屋敷あとに造られた数々の別荘には、文化人のたしなみとして木々が植えられ、
お茶室なども造られました。
お茶屋「帆雨亭」さんは、かつての庭や離れのお茶室を生かした喫茶店として営業中です。
かつて豪商たちが楽しんだ風景をリーズナブルに味わうことができます。
桜の季節は特に最高です♪


帆雨亭さんのお茶室は、室町、安土桃山時代から続く
伝統的な茶道のお茶室とは少々趣が違います。
(伝統的なお茶室ももちろん沢山あります。
防地口の爽籟軒庭園や浄土寺の国重要文化財・露滴庵など。)
こちらのお茶室は明治後期に賓客接待のため建てられたとのこと。
その賓客とは近代日本の基盤整備を委嘱された外国人(いわゆるお雇い外国人)で、
畳に正座ではなく腰掛け式のお手前でもてなしたそうです。
尾道に文明開化の名残が現存しているというのにもびっくりです^^。
しげぞー
通称「出雲屋敷」が広い敷地を占めておりました。
明治以降「出雲屋敷」がなくなった後、豪商・地元の名士の方々などが
別荘を次々に建てたわけです。
千光寺新道の桜、石垣に勝るとも劣らない見事さです。
自然と人智、どちらも。。。
石段をのぼり「暗夜行路」の四辻から横(東)方向に路地が伸び、
2代目の千光寺道までつながっています。
この道も映画によく登場します。
「転校生」でカズオが自転車で疾走し、
「あの夏の日」では大井家がこの途中にある(文学記念堂)との設定で、
マドンナ・ミカリの胸ポケットに首尾よく弥勒さまの小指を入れた賢司郎おじいちゃんが
「夢のまきまきに~♪」と踊っていたのも、この路地です。
千光寺道の元・看護士寮すぐ上、路地を入った奥まったところに出雲屋敷の塀と門が
ひっそり残されています。
出雲屋敷あとに造られた数々の別荘には、文化人のたしなみとして木々が植えられ、
お茶室なども造られました。
お茶屋「帆雨亭」さんは、かつての庭や離れのお茶室を生かした喫茶店として営業中です。
かつて豪商たちが楽しんだ風景をリーズナブルに味わうことができます。
桜の季節は特に最高です♪
帆雨亭さんのお茶室は、室町、安土桃山時代から続く
伝統的な茶道のお茶室とは少々趣が違います。
(伝統的なお茶室ももちろん沢山あります。
防地口の爽籟軒庭園や浄土寺の国重要文化財・露滴庵など。)
こちらのお茶室は明治後期に賓客接待のため建てられたとのこと。
その賓客とは近代日本の基盤整備を委嘱された外国人(いわゆるお雇い外国人)で、
畳に正座ではなく腰掛け式のお手前でもてなしたそうです。
尾道に文明開化の名残が現存しているというのにもびっくりです^^。
しげぞー
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2009年04月06日 Posted byひがしざわ at 08:00 │Comments(0) │おのみちまちあるき
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