神戸100年映画祭 「淀川長治さんを偲んで」 その7

その7:最後に。。。

神戸100年映画祭 「淀川長治さんを偲んで」 その7

時間がまいりましたので最後に。

淀川さんの愛し方は良い。
「黒さん(黒澤さん)は幼稚なのよねぇ。だから好きなの。
大林さんも黒さんに似て幼稚なところがあるね。だから好きなの。」だんだん分かってきた。
淀川さんのおっしゃる幼稚とは純粋ということ。
お金を儲けたり、得したり、名前があがったりするよりも、純粋によいものを見せたいとする幼稚さ。
これが芸術家には必要と褒めてくださったということ。

私は先輩を持たず撮影所の経験がないので、
50歳の時、黒澤組に2年間ついて『夢』という作品のメイキングを撮った。
先輩から学ぶことも沢山あるのではと。
『夢』の中で実現しなかったエピソードがあります・・・

(世界中の人が手にした銃を突然捨ててしまう。敵も味方も両手が空き、
することもないので抱き合うエピソードから、
『夢』で助手としてついていたスピルバーグやジョージ・ルーカスが
CGで撮れるというのを黒澤さんが制し
「それでは意味がない。僕自身世界中に自分で出かけ
世界中の有名、無名な人たちに実際に演じてほしいんだ。」とおっしゃったお話。
そして、平和とは所詮ウソ・絵空事でも、芸術としての映画はウソを通じ
<ウソから出たまこと>を描くことが大切と語られました。)

神戸100年映画祭 「淀川長治さんを偲んで」 その7

「おーい、淀川さん・・・」
大林監督は上方に視線をやり、淀川さんに語りかけながらトーク終了。
拍手の中、女性スタッフから花束を贈られた監督は退出間際にもう一言。
「そう、これがいいんです。(正面のスクリーンにカバーがかけられているのを差し)
スクリーンに背を向けてしゃべるのは何か申し訳ない^^。」
映画人としてスクリーンに敬意をあらわすその姿勢に、
満場の映画ファンからは更に大きな拍手が送られました。

終了後、控え室に戻ると、西日本のOB’sの方々が多数顔を出されました。
各地のイベントでお会いした顔見知りの方も多く「どーもどーも」「お久しぶり」と思わぬ再会に^^。

神戸100年映画祭 「淀川長治さんを偲んで」 その7

監督ご夫妻は前夜神戸入りし、この日のトーク、夕方その足で大分へとのこと。
北へ南へまさに全国行脚ですね。
お荷物も多く、タクシーにお乗りいただき「サイナラサイナラ、サイナラ」 では申し訳なく、
新神戸駅まで同行、のぞみに乗車されるまで見送らせていただきました。

アートセンターからタクシーを拾いに大通りへ移動中、アーケードにこんなものが。
「うどん・そば 忠太郎」さまの<動くうどんの看板>です(笑)。

神戸100年映画祭 「淀川長治さんを偲んで」 その7

いまや新開地名物。
大阪のくいだおれ太郎やかに道楽のかに看板もですが、これはこれでなかなかのインパクトですね^^;。
うどんをつかんだ箸が上下に動くんです。
(監督&恭子さんも「おやおや^^。このアイデアいいねぇ♪」と笑っておられました。)

しげぞー



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2010年03月10日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)各地映画祭巡り

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