手塚治虫FILMS2008 レポ②

手塚治虫FILMS2008 レポ②

ホールは、熱心な手塚ファン、漫画ファン、アニメファン(そして大林ファン。笑)からその道を志す方?
更に昔を懐かしむ年配の男性が小さなお孫さんを連れてきたりと、
幅広い年齢層の観客でいっぱいになっていました。
女性司会者の紹介で壇上に薄紫のジャケットで登場した監督。
客席に大きく手を振り、スクリーンに手を上げ挨拶、そして壇上に立つ等身大(以上?)の
アトムくん像におどけてびっくりしてみせ、アタマをなでてから握手。

監督は客席をニコニコ見回し「おーい、手塚さーん、こっちにおいでよ。」と一言。

「手塚さんはこういう場が大好きで、よく客席の一番後ろのほうでにこにこ。
で、気づいて声をかけると嬉しそうに壇上に上がってきた。
たぶん、今日もいらしているんじゃないかな(笑)。」と。

手塚さんも80におなりになられて・・・自分は今年古希なのでほぼ10歳違い。
日本で戦後映像にかかわる人間は多かれ少なかれ氏の影響を受けているものだが、
自分も昔から公私ともにかかわりがあった。

最初に氏のことを知ったのは確か10歳前後のころ。
当時、子供新聞なるものがあり4コマ漫画が掲載されていた。
ある日、こんな紹介文が目に飛び込んできた。
「明日から漫画を描くのは、テヅカオサムシという19歳のいがくり頭のお兄さんです」

それまで、漫画というのは<フクちゃん>然り<のらくろ>然り、
大人の偉い先生が描くものという想いがありインパクトは大きかった。
(手塚ファンの方には常識?でしょうが、今でこそ「治虫」を「おさむ」と読むが、
手塚氏はオサムシという昆虫が好きで、「おさむし」というペンネームを名乗りたかったが、
氏をつけるとオサムシシとなってごろが悪いためとか)

ただ、当時自分は大きな勘違いをしていて「テヅカオ・サムシ」さんだと。(テヅカオとはどんな顔?笑)。
そして氏の4コマ漫画の掲載が始まったが・・・

普通、新聞の4コマは起承転結が常識。
毎日の漫画を切り抜いては大学ノートに横に並べて貼りコレクションしていた。
ところが、このお兄さんの漫画、4コマで完結しない!
翌日、翌々日とどんどんストーリーが広がってゆく・・・。
困り果てて、とうとう4コマを横にではなく、縦につなげて巻物のようにして読むことを思いついた。
われながらよいアイデア(笑)。
それこそ映画のフィルムのように。それが、自分と氏との最初の出会いだった。

後に大人になって仕事をするようになり氏とのつながりが生まれたのは、
ちょうど、自分が商業映画を撮りはじめてまもなく、
氏のブラック・ジャックを実写版として取り上げた作品『瞳の中の訪問者』
(主演:片平なぎささん。ブラック・ジャック役は宍戸錠さん)のころだったと思う。
ただ、この時、自分は氏を少々怒らせてしまったのです。

というのは、作品中にあの<ヒョウタンツギ>を登場させたこと。

ご存知の通り、このキャラクターは氏の妹・手塚美奈子さんの落書きに由来するもので、
作品の展開や説教じみた描写などがゆき過ぎたかな・・・と氏が思った時、リセットしてもとに戻す、
という使い方をする、氏にとってきわめて私的な、そして繊細な位置づけのもの。

それを部外者である自分が使ってしまったのです。
自分も含め、多くの映像関係者は多かれ少なかれ氏の影響を受けているだけに、
その作品をまとめようとすると、得てして「手塚治虫論」になってしまう。
それは氏が作品にご自身こられめた想いと必ずしも一致しているかどうか分からないが、
自分もそのパターンに陥ってしまったのかもしれない。。。

氏の言葉に「自分の作品をきちんと映像化できるのは黒澤明監督だけ」というのがあると聞いたことがある。
確かに黒澤先輩であれば、勝手な解釈などをせず見事に手塚作品を映像化なさったと思う。
黒澤家で、唯一「見てよい」と許されていた漫画が、手塚作品だったとか。

その後もいろいろな機会でお会いするとともに、公私ともにお付き合いいただき、
お互い、子供を持つ親として親同士の話などもすることも多かった。
(どこどこの学校が良いかとか、将来、息子<手塚 眞氏>の仲人をしてくれ、とか。
もっともご本人はそれを嫌がって(笑)?先に出てしまったが、
世の親というのはいつの世もそういう話題で盛り上がるものなのです)

非常にご多忙にもかかわらず、一緒にディズニーワールドへ2週間出かけたことも。
「右の手にミッキー、左の手にドナルドダック、な世界を味わわせて差し上げます。
一緒に出かけませんか」とお誘いしたのだった。
旅先でも部屋に帰ると、ペンを握って作品に取り掛かっておられたのを思い出す。

氏の作品にはヒゲオヤジはじめ、同じ人物が違う設定で登場することが多い。
きわめて映画的である。
ほぼ同世代である自分としては良く分かるのだが、
戦後、それまで輸入・上映が禁止されていた欧米の映画が一気に日本に入ってきた。
当時はコピーフィルムが沢山あるわけでもなく、映画館では日替わり・週代わりで
新旧いろいろな作品を上映していたのが楽しかった。

すると、当時威風堂々・貫禄十分の大スターの俳優・女優さんが、
それこそ無名の若造でチョイ役時代の作品がその後にかかったりして面白かった。
だから、自分の頭の中には何人もの同じ俳優さんがいる。
氏の作品も、各キャラクターを役者さんと考えると、まさに映画だ。

(続く)

しげぞー


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2008年04月02日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(4)各地映画祭巡り

この記事へのコメント
小生の原稿チェックもれなのですが、
チラシ画像やスナップにもあるように
正確には
『手塚治虫FILMS2008』でした。
(Sが抜けてしまいました^^;)
訂正まで。
Posted by しげぞー at 2008年04月02日 12:19
まるでその場にいるような感じ。あのやさしい大林監督の姿や言葉がよーく伝わってくるリポートです。続きを楽しみにしてます。
Posted by yama at 2008年04月03日 03:51
すみません~。
私の確認ミスです。素晴らしい記事なのに、失礼しました。

手塚治虫さんと大林監督のつながりは知りませんでした。
お忙しいお二人でディズニーワールドに行かれたなんて!
とても楽しく読ませていただきました。
Posted by ひがしざわ at 2008年04月10日 11:55
yamaさん、こんにちは。
ご存知かも知れませんが上田フィルムコミッションさんで
「私は貝になりたい」のエキストラ募集があります。
詳しいことはこのブログでは明後日お知らせしますが、よろしれけば
上田フィルムコミッションさんのHP覗いてみて下さいね。
Posted by ひがしざわ at 2008年04月10日 11:58
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