高林監督オールナイト&トークショー④
高林監督オールナイト&トークショー④
<日本映画について>
日本の映画は、巨大資本による「商業映画」と、
こじんまりとした「個人映画」「自主映画」に二分されていると思う。
今大ヒットする映画は「わかりやすさ」が求められている。
この登場人物が出てきて、このように行動すれば、最後はどうなるかまで、
誰がどう見ても同じように感じ、思い、あらかじめ結末まで
予想できるような(予定調和の)作品でないと観客動員や興行収入にはなかなかつながらない。
少しでもそうでない部分があると「難解な作品」と敬遠される風潮がある。
今日の作品はどうだっただろうか。
昨今のほかの映画やドラマではまずないような、ゆったりしたテンポ。
また余計な音楽などを入れるでもなく、自然の波の音を聞かせてくれる。
きわめて個人的な、そしてもっといえば<高林陽一的>な作品と思う。
おそらく観た皆さん1人1人それぞれ「自分なりに」わかった、という感覚ではないか。
隣席の人とも捉え方は同じではないと思う。
一般的な「わかりやすさ」とは違うが、大事なところである。
映画は恋愛のようなもの。恋愛は<誤解>でなりたっている。
お互い、客観的な評価以上に、自分の中で相手のことを過大評価して初めて恋に落ちる(笑)のである。
映画も似たところがある。
1人1人の想像力と発想力で「自分なりにわかる」ような作品にすることが大切である。
ボクもスタートは高林くんと同じ個人映画だった。
その後、商業映画なども撮るようになり今日に至るが、
商業主義、儲ければよいという考え方とは一線を引いて、
少しでも手作り感を残すよう努めている。
高林くんに、あきれ、見捨てられてしまわないように(笑)。
映画館での上映に向けたプロデュースも、長年公私共にパートナーの恭子さんに
プロデューサーをしてもらって、やってきた。
去年も「転校生」「22才の別れ」という2本の作品を頑張って作った。
有名な役者さんを使えば、名前だけで一人で何十億、百何十億という興行収入につながるだろうが、
自分は無名の役者さんや新人、そしてこれまでのつながりで、
安いギャラや無料でも参加させてほしい、というスタッフやキャストの仲間たちと一緒に映画を撮っている。
自分ももう少ししたら、ミニDV片手に
きわめて個人的でこじんまりとしたデジタル映像作品を撮るようになりたいものだ。
今日は、自分の話をしに来たのではないが、実は次回作も撮影に入っている。
先日も秋田に雪景色をDVで撮りに行ってきたばかり。
本撮影に入れば大きなキャメラを使うが、まずは手作り感もあって今のところDVで、と。
ということで、高林くん、どうぞ。

(ここから高林監督)
今、大林くんが話してくれたように8ミリに限らず35ミリでもフィルムには
「1巻」(約10分)という制約があり、その中で撮ることを強いられてきた。
一方で、映像に携わる者としては、できうるならばこう撮りたいという欲求がある。
かつて大島渚監督がこんなことを口にされていた。
「フィルム1巻まるごと1シーンの作品というのを撮ってみたいものだ」と。
でもそうすると、たとえば9巻90分ならばたったの9シーンになってしまう(笑)。
今回の作品、実はカット・シーンとも非常に少ない。台本にしてもわずか。
通常の映画の1/10くらいである。
舞台でいうところの2幕10数場、という感じである。
映画界から一時完全に身を引いていたが、京都でとある小劇団と出会った。
数多くの役者さんを抱えながらその演技を公開する機会が限られる。
お金儲けではなく、彼らの演技を後世にきちんと「残したい」という想いを聞き、
彼らとこじんまりとした作品を撮るべく、
再び映像作品の撮影を再開したのだった。それ(少ないカットやシーンでの長回し)を
可能にしたのが、DVというものとの出会いであるといっても過言ではない。
今までフィルムの<機械的制約>と映像表現者としての<生理的欲求>のギャップに
ずっと苦しんできたのが、大林くんに紹介されたDVですっかり取り払われて、このうえなく
自由になった(笑)。
(続く)
しげぞー
<日本映画について>
日本の映画は、巨大資本による「商業映画」と、
こじんまりとした「個人映画」「自主映画」に二分されていると思う。
今大ヒットする映画は「わかりやすさ」が求められている。
この登場人物が出てきて、このように行動すれば、最後はどうなるかまで、
誰がどう見ても同じように感じ、思い、あらかじめ結末まで
予想できるような(予定調和の)作品でないと観客動員や興行収入にはなかなかつながらない。
少しでもそうでない部分があると「難解な作品」と敬遠される風潮がある。
今日の作品はどうだっただろうか。
昨今のほかの映画やドラマではまずないような、ゆったりしたテンポ。
また余計な音楽などを入れるでもなく、自然の波の音を聞かせてくれる。
きわめて個人的な、そしてもっといえば<高林陽一的>な作品と思う。
おそらく観た皆さん1人1人それぞれ「自分なりに」わかった、という感覚ではないか。
隣席の人とも捉え方は同じではないと思う。
一般的な「わかりやすさ」とは違うが、大事なところである。
映画は恋愛のようなもの。恋愛は<誤解>でなりたっている。
お互い、客観的な評価以上に、自分の中で相手のことを過大評価して初めて恋に落ちる(笑)のである。
映画も似たところがある。
1人1人の想像力と発想力で「自分なりにわかる」ような作品にすることが大切である。
ボクもスタートは高林くんと同じ個人映画だった。
その後、商業映画なども撮るようになり今日に至るが、
商業主義、儲ければよいという考え方とは一線を引いて、
少しでも手作り感を残すよう努めている。
高林くんに、あきれ、見捨てられてしまわないように(笑)。
映画館での上映に向けたプロデュースも、長年公私共にパートナーの恭子さんに
プロデューサーをしてもらって、やってきた。
去年も「転校生」「22才の別れ」という2本の作品を頑張って作った。
有名な役者さんを使えば、名前だけで一人で何十億、百何十億という興行収入につながるだろうが、
自分は無名の役者さんや新人、そしてこれまでのつながりで、
安いギャラや無料でも参加させてほしい、というスタッフやキャストの仲間たちと一緒に映画を撮っている。
自分ももう少ししたら、ミニDV片手に
きわめて個人的でこじんまりとしたデジタル映像作品を撮るようになりたいものだ。
今日は、自分の話をしに来たのではないが、実は次回作も撮影に入っている。
先日も秋田に雪景色をDVで撮りに行ってきたばかり。
本撮影に入れば大きなキャメラを使うが、まずは手作り感もあって今のところDVで、と。
ということで、高林くん、どうぞ。
(ここから高林監督)
今、大林くんが話してくれたように8ミリに限らず35ミリでもフィルムには
「1巻」(約10分)という制約があり、その中で撮ることを強いられてきた。
一方で、映像に携わる者としては、できうるならばこう撮りたいという欲求がある。
かつて大島渚監督がこんなことを口にされていた。
「フィルム1巻まるごと1シーンの作品というのを撮ってみたいものだ」と。
でもそうすると、たとえば9巻90分ならばたったの9シーンになってしまう(笑)。
今回の作品、実はカット・シーンとも非常に少ない。台本にしてもわずか。
通常の映画の1/10くらいである。
舞台でいうところの2幕10数場、という感じである。
映画界から一時完全に身を引いていたが、京都でとある小劇団と出会った。
数多くの役者さんを抱えながらその演技を公開する機会が限られる。
お金儲けではなく、彼らの演技を後世にきちんと「残したい」という想いを聞き、
彼らとこじんまりとした作品を撮るべく、
再び映像作品の撮影を再開したのだった。それ(少ないカットやシーンでの長回し)を
可能にしたのが、DVというものとの出会いであるといっても過言ではない。
今までフィルムの<機械的制約>と映像表現者としての<生理的欲求>のギャップに
ずっと苦しんできたのが、大林くんに紹介されたDVですっかり取り払われて、このうえなく
自由になった(笑)。
(続く)
しげぞー
第25回高崎映画祭の授賞式
ららヨコハマ映画祭
ミューズ シネマ・セレクション 特別対談と落語の夜
2月17日...山村浩二自選傑作集他上映
2011年第25回高崎映画祭
アニメーションの世界 動く絵のコミュニケーション力
ららヨコハマ映画祭
ミューズ シネマ・セレクション 特別対談と落語の夜
2月17日...山村浩二自選傑作集他上映
2011年第25回高崎映画祭
アニメーションの世界 動く絵のコミュニケーション力
2008年04月17日 Posted byひがしざわ at 08:00 │Comments(3) │各地映画祭巡り
この記事へのコメント
しげぞーさん、ご無沙汰しております。
ながのロキシーのタガミです。
こちらのポレポレ東中野のイベントリポート楽しんで
おります!
以前、「水になった村」の上映でサスナフィルムのみなさん
や大槻さんにもお世話になりました。
こんな楽しい企画は当館でもいつかやってみたいです。
また、こちらにお見えになる際は寄ってくださいね。
ではでは。続き、早く読みたいという感じです(笑)
ながのロキシーのタガミです。
こちらのポレポレ東中野のイベントリポート楽しんで
おります!
以前、「水になった村」の上映でサスナフィルムのみなさん
や大槻さんにもお世話になりました。
こんな楽しい企画は当館でもいつかやってみたいです。
また、こちらにお見えになる際は寄ってくださいね。
ではでは。続き、早く読みたいという感じです(笑)
Posted by タガミ@ながのロキシー at 2008年04月17日 21:03
タガミさま
こん**は。ナントカ暇なしで(笑)すっかりご無沙汰いたしております。
製作・撮影から宣伝・公開に何十億円もかけるエンタテイメントなスペクタクル大作も、こじんまりとした良質な自主・個人映画も、何もないまっさらな白いスクリーンに映像が映し出される、という意味では同じ。これからも両立していってほしいものです。
「文化」としての映画を考える時、<映画好き>が作った映像作品を<映画好き>が上映し、<映画好き>が見られる、という今回のような機会はとても素晴らしいなー、と思うのでした。
今回のポレポレ中野さんも、そして長野ロキシーさんも、映画好きにはこたえられない、よい「活動写真館」ですね^^。
こん**は。ナントカ暇なしで(笑)すっかりご無沙汰いたしております。
製作・撮影から宣伝・公開に何十億円もかけるエンタテイメントなスペクタクル大作も、こじんまりとした良質な自主・個人映画も、何もないまっさらな白いスクリーンに映像が映し出される、という意味では同じ。これからも両立していってほしいものです。
「文化」としての映画を考える時、<映画好き>が作った映像作品を<映画好き>が上映し、<映画好き>が見られる、という今回のような機会はとても素晴らしいなー、と思うのでした。
今回のポレポレ中野さんも、そして長野ロキシーさんも、映画好きにはこたえられない、よい「活動写真館」ですね^^。
Posted by しげぞー at 2008年04月18日 12:19
タガミさま、ありがとうございました。
ポレポレ中野さんは映画好きな仲間が集まると必ず名前が
あがるあの映画館さんですよね。
でも長野市にはタガミさんのいる“ロキシー”さんがあると
私も意味もなく胸を張ってしまいます。
ロキシーさんに来ているお客様は皆友人のような、
大きなシネコンさんにはない一体感。
モギリ際の事務的じゃない優しいふれあいの瞬間とか、
支配人さんの手書きの看板とか、
世界にたった一つの映画館ですね。
いろいろご苦労はあると思いますが
“まち”の映画館としてこれからも素敵な作品の上映、よろしく
お願い致します。
しげぞーさまも5日間ありがとうございました。
まさしく自分がそこにいるような暖かい気持ちになったレポでした。
ポレポレ中野さんは映画好きな仲間が集まると必ず名前が
あがるあの映画館さんですよね。
でも長野市にはタガミさんのいる“ロキシー”さんがあると
私も意味もなく胸を張ってしまいます。
ロキシーさんに来ているお客様は皆友人のような、
大きなシネコンさんにはない一体感。
モギリ際の事務的じゃない優しいふれあいの瞬間とか、
支配人さんの手書きの看板とか、
世界にたった一つの映画館ですね。
いろいろご苦労はあると思いますが
“まち”の映画館としてこれからも素敵な作品の上映、よろしく
お願い致します。
しげぞーさまも5日間ありがとうございました。
まさしく自分がそこにいるような暖かい気持ちになったレポでした。
Posted by ひがしざわ at 2008年04月18日 13:20
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。