帰ってきた「時をかける少女」(笑)その7レトロバスツアー中篇

帰ってきた「時をかける少女」(笑)その8。レトロバスツアー。<中篇>

続いて万座・鹿沢口駅前。
ここにもかつては、JRバス、西武バス、そして草軽と各社のバスが次々に乗り入れていましたが、
今は本数も減って静かです。
ちょうど西武のバスがやってきました。往時を彷彿させる一瞬です。

帰ってきた「時をかける少女」(笑)その7レトロバスツアー中篇
帰ってきた「時をかける少女」(笑)その7レトロバスツアー中篇

続いて、江戸時代「天明の大噴火」で火山灰や溶岩、火砕流により壊滅した
悲しい歴史を持つ鎌原村の集落を抜け、鬼押し出し浅間園へ。
ここで昼食休憩です。

(鎌原村の観音堂には50段の石段がありましたが、下35段が火砕流に呑まれ
埋もれてしまったことから「東洋のポンペイ」と呼ばれています。
30年ほど前の発掘であと数段で助かった地中から女性2人の遺体が見つかったとの
ニュースがあったのを思い出します。
母娘?姉妹?姑と嫁?若い女性が足の悪い年配の女性を背負って石段を駆け上ったものの、
もう少しのところで力尽きた、という物語に、自然の猛威に畏怖を覚えるとともに、
わが身を顧みない人間の情に子供心ながら涙したものです)
鬼押し出し浅間園には浅間火山博物館(&レストラン・お土産コーナー)がありますが、
視界に入るのが、大きな<展望台>です。

帰ってきた「時をかける少女」(笑)その7レトロバスツアー中篇
帰ってきた「時をかける少女」(笑)その7レトロバスツアー中篇 

この展望台、既に営業をやめてから厳密には展望台「址」です。
既に営業していません。
昭和42年(1967年)、珍しい火山博物館兼展望台として建設され、
四半期あまり営業していましたが、新館(すなわち今の博物館)の完成で役目を終え
平成5年(1993年)、閉鎖されました。
しかしながら、その威容に今でも圧倒されます。
(昭和40年代はバリバリに現役。まさにこのバスと同世代ですね♪)

(続く)

しげぞー



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2010年09月21日 Posted byひがしざわ  at 08:00 │Comments(0)時をかける少女

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