リハビリ中

ただいまです。
お休みの間もしげぞーさま、りょうさまに素晴らしい記事を書いていただき
皆様にも多くのコメントをいただいて誠にありがとうございました。
休暇前にかかわらず、誤字等の間違いがあってごめんなさい。

ひがしざわ、休暇ぼけのリハビリ中。
明日から本格的に稼動致します。よろしくお願い致します。

おまけ
今日は須坂動物園のカンガルー、ハッチとクララの息子、クラッチくんが代理です。



ボクサー見習い中。  


2008年04月10日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)まち巡り

高崎映画祭授賞式 後編

そのほか、受賞者挨拶の中から…

最優秀主演女優賞の石田えりさん、
まずは『年を取って最近仕事が減ってきた。』と会場の爆笑をとり
『年を重ねるとこの仕事を続けるのが大変になってくる。
でも、シンプルに考えるようになったら気持ちが楽になった。』とベテランらしい重みのあるお言葉。
蓮佛さんも、こんな年になるまで女優を続けているかな。

そして、最優秀助演女優賞の板谷由夏さんは、ものすごく足が長くてスタイルが抜群。
『劇中では最後に妊娠する役柄でしたが、撮影終了後に本当に子供を授かりました。』
と嬉しそうに喜びを語られていました。

最優秀主演男優賞の濱田岳さんは、『ラッキー!』と第一声。

『14歳』で若手監督グランプリを受賞された廣末哲万さんと高橋泉さんのお二人。
授賞の際、どちらが賞状を受け取るか壇上でお互いに遠慮しあっている姿に、会場の微笑みを誘っていました。


会場の高崎市民文化会館

さて、高崎映画祭は、今年で第22回目を迎える歴史と伝統のある映画祭と賞です。

映画界からも、そのレベルの高さにはかなりの好評価を得ていて、
最優秀助演男優賞の三浦友和さん(授賞式は欠席)は、メッセージの中で
『(高崎映画祭は)なんのしがらみも、なんのたくらみも感じさせない清々しい賞です。』

また、『ひめゆり』で特別賞を受賞された柴田昌平監督は、
『授賞理由をうかがって、高崎の人たちが、自分の映画を正面から受け止めていただき、
この映画の持つ意味を皆さんひとりひとりの
言葉で理解してくださっていることを強く感じることができました。』

そして、最優秀助演女優賞の並木愛枝さんは、
『この作品(14歳)は、社会の隅っこに追いやられているものを映画にしたもの。
そんな作品の、そしてちっぽけな存在の自分を見つけていただき、
賞を贈ってくださった高崎映画祭に感謝しています。』

『殯の森』でカンヌ国際映画祭でもグランプリを取られた河瀬直美監督は、
現在は2年後の奈良映画祭立ち上げに向けてご準備をされているそう。
『高崎映画祭には、自分が新人だった15年前からお世話になっています。
私にとって大切な映画祭です。』
と皆さん高崎映画祭に対して感謝の言葉を述べられています。

最後に挨拶に立った最優秀作品賞の青山真治監督は、
現在の日本映画のおかれている状況を、森鴎外の『普請中』に例えておっしゃられていました。
『今回の受賞者を見ていただいても、60代の新人俳優
(河瀬直美監督の代理うだしげきさん)から自分の子供の年ぐらいのピチピチとした(笑)
若手まで、この世代の幅広さこそ日本映画が外国映画に負けないぐらい
着実に発展していることの明かしでもあります。
そして、日本映画を支えるのは、他ならない、ここにいる大勢の観客の皆さまです。
皆さんどうか日本映画をよろしくお願いします。』

また、冒頭の主催者挨拶では、
『映画好きで専門知識も豊富な事務局長を中心として始まり、
その周りを柔らかなスタッフが取り囲みながら育んできたこの映画祭が、
ここまで22回もの長きにわたり開催できたのは、高崎市民の皆さまのおかげです。
この映画祭は、行政からお金は出ているにしても、
企画段階から運営まで、すべて市民のボランティアで行われていることは、
高崎の市民力、地域力、文化力の賜物であり、市民の宝です。
これからも高崎の皆さまとともに大切にしていきたいです。』
とお話がありました。

【継続は力なり】

22年もの永きに渡り映画祭というイベントを絶え間なく積み重ねて来られたことは、
まさに高崎映画祭の誇りであり、それ自体が意義深いことだとりょうも思います。
そして、映画祭をここまで大きく育て、長く続けていく間には、
相当の苦労や努力があったことも容易に想像することができます。


<商店街でもポスターを掲げて、地域ぐるみで盛り上げにひと役>

高崎映画祭スタッフの皆さま、事前の準備から上映・授賞式の運営まで、
大変お疲れさまでした。そして、楽しくてステキな映画祭をありがとうございました。

最近は、大型テレビやホームシアター、安価なDVDが普及し、
家庭で映画を見る機会が増えてきました。

それでもやはり、黒い画面ではなく、穢れのない純白な大スクリーンに投影された映像を、
たくさんの人たちとひとつの空間で観ることを通じ、
同じ時間や同じ気持ちを共有することができる繋がりや喜び、
まるで宇宙船やタイムマシーンに乗ってそこに集うみんなで別世界に旅をしているような、
そんな映画館で映画を観ることの魅力と、
ふたたび出逢うことができた高崎での2日間となりました。

りょう  


2008年04月09日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(5)各地映画祭巡り

高崎映画祭授賞式 中編

華やかなファンファーレのあと緞帳が上がり、司会のラジオ高崎の女性アナウンサーが登場。
まずは高崎映画祭運営委員長の大宮登氏と、
来賓を代表して高崎市長松浦幸雄氏が来場者に挨拶。

お二人の挨拶に続いて、今回の各受賞者関連作品の劇場予告編が上映されました。

映画作品の面白さがギュッと凝縮された予告編を観るのもまた楽しいですよね。
『バッテリー』に続いて、2番目にはもちろん『転校生さよならあなた』の予告編も。
拙者、実は『転校生さよならあなた』の予告編をスクリーンで観るのは、今回が初めてだったりします。

そして、司会者がひとりひとりの名前を読み上げ、受賞者12人がそろって登壇。

この日はあいにく欠席された林遣都さん(最優秀新人男優賞)はビデオレターで、
松田龍平さん(最優秀助演男優賞)は映画祭スタッフの苦労を気遣う
レターメッセージを会場に寄せられていました。

さて、蓮佛美沙子さんは、先日のキネマ旬報ベストテン表彰式に引き続き、
林さんではありませんが、これまた『バッテリー』で共演された仲の
山田健太さん(最優秀新人男優賞)に続いて2人目に登壇。

この日は、まさにこの季節の桜をイメージした、白とピンクのノースリーブのワンピース姿。
色白でほのかにピンク色に染まった蓮佛さんのきれいな肌の色と相まって、
まるで目の前に満開の桜花が咲いたような、そんなさわやかな風を場内に運んでくれました。
その一方で、大きく胸元と背中が開いていて、ちょっとドキッとさせる、そんな大人っぽさも。

蓮佛さん、どんどん魅力的な大人の女性になっていくんだね。



そして、この日もまた、かなり緊張をされているようでした。(^^ゞ
それでも、最初に『バッテリー』そして6月公開予定の『ダイブ!!』で
共演した知人でもある林遣都さんのビデオレターを懐かしそうに眺めて、少し緊張もほぐれた様子。

でも、やっぱり贈呈式で前に出る時は、手と足が同時に出そうな感じでぎこちなく歩かれていました。
そんな蓮佛さんも、賞状を受け取るときには、本当に心の底から嬉しそうに
“ハニカんで”いたのがとっても印象に残りました。

この高崎映画祭で非常に特徴的なのは、ひとりひとりの賞状に
授賞の選定理由が書かれていることです。
(全文が読み上げられます。)

蓮佛さんの授賞理由には…
『男女が入れ替わるという難しい役柄を、まさしく体当たりで臨まれた姿は、
瑞々しく、清々しいものでした。とても伸びやかで堂々たる演技であり、
表現者としての素質を感じさせました。よって…』とのこと。

そしてクリスタルガラス製のトロフィーを受け取ると、今回もまたその重さにびっくりされているよう。
(最優秀主演男優賞の濱田岳さんも、
「このトロフィーの意外な重さにびっくりしています。」と挨拶で触れられていました。)

『蓮佛美沙子です。こんばんは。
本日は、このような素晴らしい賞をいただきありがとうございます。
今回の受賞は、周りにいるたくさんの人たちの支えがあったからこそのおかげだと感謝しています。
そして、このような賞をいただくことは、私自身にとって自信にもなります。
最近は、賞をいただく機会が何度かあり、その度にたくさんの大切な気持ちに触れることができました。
これからも観ていただいている人の心に響くような、そんな演技をしていきたいです。』
と力強く挨拶を述べられました。

そして、席に戻られてからは、他の受賞者の授賞理由や
挨拶のひと言ひと言に頷きながら、真剣な眼差しで自分のものにしようと聴かれていた姿に、
蓮佛さんの映画に対する真摯さや向上心があふれていました。

また、ウイットに富んだ挨拶には、ときおり笑顔も見せられていました。

最後は、高崎と言えばこれ、恒例の上州高崎・茂田ダルマの進呈式。
受賞者の名前入りの赤いダルマが皆さんに贈られます。
意外なプレゼントの登場に、蓮佛さんも隣の山田健太さんと楽しそうに(珍しそうに?)談笑されていました。
退場の際は、じーっとダルマの顔とにらめっこしながら舞台を後にされていました。
蓮佛さん、もしかして「高崎=ダルマ」のつながりは知らなかったかな。(鳥取市ご出身なだけに?)


<受賞者に贈られたものとは直接の関係はありません・笑>

つづく

りょう  


2008年04月08日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(3)各地映画祭巡り

高崎映画祭授賞式 前編

この日記でもしつこいぐらいに予告をしてしまいましたが、
映画『転校生さよならあなた』に主演された蓮佛美沙子さんが、
第22回高崎映画祭の最優秀新人女優賞を受賞されたということで、3月29日(土)・30日(日)の2日間、
高崎映画祭に自称“蓮佛さんサポーター” (笑)のりょうがお邪魔してきました。
(…と言っても、温かく見守っているだけです。。)

日記の立ち上げから、ここまで一日も絶えることなく更新を続けてきた管理人ひがしざわ様不在のピンチは
りょうが救ってみせます!
…と言うことで、本日から3日間にわたって、お待ちかね高崎映画祭訪問レポートをお届けいたします☆
皆さまどうぞお付き合いください。

りょうが滞在した2日間はやわらかな日差しがそそぎ、高崎城址公園のお堀の桜も花開いて私たちをお出迎え。



高崎城址公園の桜

蓮佛さんもお花見できたかな。

29日の映画祭初日は『バッテリー』(最優秀新人男優賞)と
『転校生さよならあなた』(最優秀新人女優賞)の上映があり、まさに蓮佛さんデー(笑)。
この日は他にも、神童・14歳(最優秀助演女優賞・若手監督グランプリ)・
松ヶ根乱射事件(最優秀監督賞・最優秀助演男優賞)が上映されました。

それにしても、『バッテリー』の蓮佛さんは若いなぁ。
中学生の役柄で、ミツアミを結んでいるせいもあるかもしれませんが。とっても初々しくて、
でもダイヤの原石のようにキラキラと輝いていました。

そして、自身8回目となる劇場での『転校生さよならあなた』を鑑賞。
実際に訪れた長野の風景の記憶と重ねながら、ゆっくりと楽しむことができました。
さすがに8度目ともなると、観客の笑いのツボや感動する場面が予測できるようになります。

物語冒頭の教室での「デベソの一夫ちゃん!」や「ない!なくなってるッ!!」と
母のもとへ裸のカズオが走ってくるシーンでは、会場から笑いの渦が、
また、長野市民病院の病室でのカズオと母親とのやりとりや、
一子の「お姉ちゃん、生きてみろよ!」のシーンでは、鼻をすする音が…



そして、映画祭初日には、嬉しいことに、今回の高崎映画祭で上映される
各作品の映画パンフレットも一同に販売。
過去の作品の気になるパンフレットを手に入れられる貴重な機会です。

翌30日は、『殯の森』(最優秀監督賞)、
『アヒルと鴨のコインロッカー』(最優秀主演男優賞・最優秀助演男優賞)、
そして最優秀作品賞・最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞を受賞した
『サッド ヴァケイション』の上映に続いて、
5時半からいよいよ第22回高崎映画祭オープニングセレモニーが始まります。


<授賞式開場前には長蛇の列が>

つづく

りょう

  


2008年04月07日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(4)各地映画祭巡り

カンガルー日和

ひがしざわは休暇中。。。
今日はテレビで紹介されて人気者となった須坂動物園のカンガルー“ハッチ”からお送りします。
(どんな代理や。。。)


ていっ、ていっ

ぴた。

フックだ、チンだ。嵐を呼ぶぜ。

ぴた。カメラ目線


。。。。。


ギャラリーがいると張り切る
フォトジェニックなハッチの一日。

明日からはりょうさまによる高崎映画祭のレポが始まります。
お楽しみに。
  


2008年04月06日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(2)まち巡り

“ふるさとをください”上映会



本日4/5(土)、14時から
~“支えあって20年” 絆の会様の記念事業として
冨永憲治監督、ジェームス三木さん脚本の映画“ふるさとをください” ←公式HPはこちらをクリック☆
の上映会が若里市民ホールにてあるそうです。

前売協力券1000円、当日券1200円。

お問合せは 社会福祉法人 絆の会 土井様  026-226-6045まで。

日本の隅々で障がいのある方達の生きること、働くこと、暮らすことを大切にしてきた
共同作業所、きょうされん(旧:共同作業所全国連絡会)様の30周年記念映画です。

同時に大バザーも開催されるそうです。(バザーのみは入場無料)

優しい心で寄り添える社会のために、美しい和歌山でロケされた
笑いと涙の心あたたまる映画の上映にどうぞお出かけ下さいませ。  


2008年04月05日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)映画上映

手塚治虫FILMS2008 レポ④



「お二人の共通点といえば<ピアノ>ときいたが?」
氏のピアノは、自分とよく似ている。
楽譜なしで耳で聴いて感じたまま自己流で鍵盤を弾くピアノ、という意味で。
このシーンにはこの音楽、と思ったことがぴたり一致したこともあり、
感性に似ている部分があるかもしれない。

「もし今後、大林監督がご自身撮ってみたい手塚作品は?」
実は、幼少のころから、フィルムに自分で絵を描いて<自家製アニメーション>を作っていたので
(←『マヌケ先生』参照)、初期の手塚作品はもうほとんど作品化しているのだが(笑)、
もし、氏の晩年、一層深みを増した作品を手がけられるならば、『ブッダ』(客席から拍手が)や
『ルードリッヒ・B』などなど・・・。

『ブッダ』は大変な作品と思う。神や仏をどう描くかという点で。
氏はブッダを「自分の教えは後世に残るのか」と苦悩する1人の人間として描いている。
しかもブッダが亡くなるシーン。
宿屋で出された<ヒョウタンツギ>を食べて亡くなってしまう!
「漫画の好きな方でなければお分かりにならないでしょうが」と書き添えて。
常人には到底思いつかない、でもいかにも手塚氏らしい結末ではないだろうか。

「今後のご自身のご予定は?」
今日は手塚さんのお話で来て、急に自分の話をフラれても困ってしまうのだが (笑)、
重光清さんの『その日の前に※』という作品、昨日やっと脚本が上がったばかりで
これから撮影に入るというところです。(ここで客席から再び拍手)

実は、重光氏との間にも手塚氏がらみのエピソードがある。
かつて氏が雑誌記者だったころ初めてかかわった企画が「手塚治虫さんについて」でした。
本当に<縁>というのはフシギなものです。。。

(※しげぞー補足:この作品、次回作の噂の時点で入手して、先日早速読みました。
これまた、 「決して無限ではない人生を有意義に生きるということ」を考えさせられる作品です。)

-と当初の予定を(いつものように?笑)オーバーしてのトークショー、
報道向けのフォトセッション(カメラマンから「アトムくんに語りかけるように」との注文に場内どっと和みました)
を経て、場内割れんばかりの拍手の中、壇上に立つアトムくんと握手・
いつものように白いスクリーンに手を挙げ挨拶、退出されました。

その後、続けて上映された劇場版『ブラックジャック』、
正に<生命の尊さ>や<医学の発展と人類の幸福><それらの光と影>などが描かれた秀作でした。

手塚治虫さんの作品には、
「生命の尊さ」
「科学(医学を含む)の発展がもたらす夢」
「でもその裏にある危険への警鐘」
というテーマが、氏の作品には常に一貫して描かれていますね。

しげぞー  


2008年04月04日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)各地映画祭巡り

手塚治虫FILMS2008 レポ③



そうそう、話は脱線するが、氏の作品『ドン・ドラキュラ』に<大林ノブヒコ>というキャラクターが登場する(笑)※。

(※しげぞー補足:理由あってルーマニアから日本の東京・練馬に引っ越してきた
吸血鬼のドン・ドラキュラ伯爵。その娘のチョコラが恋をする相手の青年役だった。
吸血鬼だけに昼の光の下ではいられない。
それでも同じ学校の夜間部に通うSF研究会の青年<ノブヒコ>くんのため太陽に立ち向かう彼女。
日焼け止めクリームやコートの重ね着など色々チャレンジするが無惨にも灰になってしまう・・・。
(ただし灰を掃除機で吸い取って棺に入れることで再生できるが)

話は戻るが、自分が子供のころ、手塚作品は本屋さんではなく、
おもちゃ屋さん、駄菓子屋さんに並んでいた。

<勧善懲悪><道徳教育>を描いた「高尚な」漫画作品とは違うものとして世間では見られていた。

でもそこには、今でこそ常識だが大きなビルが立ち並び、ハイウェイがのび・・・。
戦後の混乱期で自家用車など、自分の住んでいた広島県の港町・尾道では到底想像もできない時代のこと。
科学の発展で自分たちが迎えるであろう輝ける未来への憧れ、というものを湧きたててくれた。

ただしそこには常に、最後の一言が加えられていた。
「科学の発展は人間の文明生活を発展させ便利にする。
でも、ゆき過ぎると不幸をもたらすのです。」と。

科学の最先端、という意味で一番は『鉄腕アトム』がある。

この作品、実は自分も含め、地元の広島近郊に生活する者にとってはいくらか複雑な想いがあった。
広島といえば原子爆弾という人類の発明した科学の一番醜い部分の被害を受けたところ。
なにしろアトム(原子)と妹のウランが仲良く手をつないでいるのである。
原子力の平和利用の象徴、ともいえるが、こんな逸話がある。

後にラジオで永六輔さんが手塚氏と対談のなかでそのことを指摘すると、
氏は「たかが漫画ですから」と一言残しただけで真っ青な顔をして退出されたとか。
氏ほどご自身の作品にこだわりをもつ方が「たかが漫画」ということはないと思う。
おそらく心のどこかに引っ掛かりがあったのではないか。

氏はこんなことを口にしたこともある。
「大林さん、私はアトムを描くにあたって少し失敗したかもしれない」と。
人間が作り出したロボットであるアトムはきわめて人間的に振舞うが、
作品の中では邪な心を持たない正義の味方、<良い子>すぎた。
科学技術も、それを操る人間の心にも常に、正邪、善悪、裏表、光と影があるのに
それを描ききれていただろうか、と。

アトムには、最終回近くで、操られて<悪の手先>になってしまうエピソードがある。
これこそ<科学万能>の裏の危うさを描きたかったのではないか。

また、4コマで「アトムの初恋」というのがある。
NYかどこかの公園のベンチ。最初のコマでは一方の端にアトム、
他方にロボットの女の子がハニカミがちに腰掛けている。
機械ながらなんとも人間的な風景。

次のコマで、2人(2体)は徐々に近づいて・・・3コマ目で2人はキスをする。
すると4コマ目、ドカーンと大爆発が起きて、地球は木っ端微塵に・・・。

ここで氏は、どんなに最先端の科学で、とても心地よくやわらかくやさしそうなものでも、
それを使う人間は決して油断してはならない、という警鐘だったのだと思う。
世界中キナ臭いこのご時勢、こういった手塚ワールドが何よりも必要である。
悲しいかな物質的な寿命というものにより氏はこの世を去ってしまった。

世界にとってはとても大きな損失であったが、その作品・世界観は、今この会場にいらしている皆様も含め、
後の世代に受け継がれている。
これはとても大事なことである。

ある世界観を確立した偉大な人物がいて、それをなぞり越えてゆこうとすることで文化は発展してゆく。
今でこそ漫画・アニメについて、あの、宮崎・高畑両氏が引っ張るジブリの世界が
社会的に認知されているが、それもかつて手塚氏の作ってきた土台あってのことだと思う。

そうそう、氏は年齢を重ねられても、きわめて子供っぽい方だった。
負けず嫌いでジェラシーを見せるところなど。

今の宮崎・高畑両氏の活躍を目にして、もしご存命だったら、
おそらく「自分はもっと素晴らしくすごい作品を作ってみせる!」
とムキになって生き生きとされていることでしょうね・・・。

などと尽きぬ話(もともと話し出したらとまらない大林監督(笑)、
ご自身「手塚さんの話だったら、何日、何週間でも語り続けられる」と。笑)
であっという間に時間は過ぎ、司会の方がいくつかの話題を。

(続く)

しげぞー  


2008年04月03日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)各地映画祭巡り

手塚治虫FILMS2008 レポ②



ホールは、熱心な手塚ファン、漫画ファン、アニメファン(そして大林ファン。笑)からその道を志す方?
更に昔を懐かしむ年配の男性が小さなお孫さんを連れてきたりと、
幅広い年齢層の観客でいっぱいになっていました。
女性司会者の紹介で壇上に薄紫のジャケットで登場した監督。
客席に大きく手を振り、スクリーンに手を上げ挨拶、そして壇上に立つ等身大(以上?)の
アトムくん像におどけてびっくりしてみせ、アタマをなでてから握手。

監督は客席をニコニコ見回し「おーい、手塚さーん、こっちにおいでよ。」と一言。

「手塚さんはこういう場が大好きで、よく客席の一番後ろのほうでにこにこ。
で、気づいて声をかけると嬉しそうに壇上に上がってきた。
たぶん、今日もいらしているんじゃないかな(笑)。」と。

手塚さんも80におなりになられて・・・自分は今年古希なのでほぼ10歳違い。
日本で戦後映像にかかわる人間は多かれ少なかれ氏の影響を受けているものだが、
自分も昔から公私ともにかかわりがあった。

最初に氏のことを知ったのは確か10歳前後のころ。
当時、子供新聞なるものがあり4コマ漫画が掲載されていた。
ある日、こんな紹介文が目に飛び込んできた。
「明日から漫画を描くのは、テヅカオサムシという19歳のいがくり頭のお兄さんです」

それまで、漫画というのは<フクちゃん>然り<のらくろ>然り、
大人の偉い先生が描くものという想いがありインパクトは大きかった。
(手塚ファンの方には常識?でしょうが、今でこそ「治虫」を「おさむ」と読むが、
手塚氏はオサムシという昆虫が好きで、「おさむし」というペンネームを名乗りたかったが、
氏をつけるとオサムシシとなってごろが悪いためとか)

ただ、当時自分は大きな勘違いをしていて「テヅカオ・サムシ」さんだと。(テヅカオとはどんな顔?笑)。
そして氏の4コマ漫画の掲載が始まったが・・・

普通、新聞の4コマは起承転結が常識。
毎日の漫画を切り抜いては大学ノートに横に並べて貼りコレクションしていた。
ところが、このお兄さんの漫画、4コマで完結しない!
翌日、翌々日とどんどんストーリーが広がってゆく・・・。
困り果てて、とうとう4コマを横にではなく、縦につなげて巻物のようにして読むことを思いついた。
われながらよいアイデア(笑)。
それこそ映画のフィルムのように。それが、自分と氏との最初の出会いだった。

後に大人になって仕事をするようになり氏とのつながりが生まれたのは、
ちょうど、自分が商業映画を撮りはじめてまもなく、
氏のブラック・ジャックを実写版として取り上げた作品『瞳の中の訪問者』
(主演:片平なぎささん。ブラック・ジャック役は宍戸錠さん)のころだったと思う。
ただ、この時、自分は氏を少々怒らせてしまったのです。

というのは、作品中にあの<ヒョウタンツギ>を登場させたこと。

ご存知の通り、このキャラクターは氏の妹・手塚美奈子さんの落書きに由来するもので、
作品の展開や説教じみた描写などがゆき過ぎたかな・・・と氏が思った時、リセットしてもとに戻す、
という使い方をする、氏にとってきわめて私的な、そして繊細な位置づけのもの。

それを部外者である自分が使ってしまったのです。
自分も含め、多くの映像関係者は多かれ少なかれ氏の影響を受けているだけに、
その作品をまとめようとすると、得てして「手塚治虫論」になってしまう。
それは氏が作品にご自身こられめた想いと必ずしも一致しているかどうか分からないが、
自分もそのパターンに陥ってしまったのかもしれない。。。

氏の言葉に「自分の作品をきちんと映像化できるのは黒澤明監督だけ」というのがあると聞いたことがある。
確かに黒澤先輩であれば、勝手な解釈などをせず見事に手塚作品を映像化なさったと思う。
黒澤家で、唯一「見てよい」と許されていた漫画が、手塚作品だったとか。

その後もいろいろな機会でお会いするとともに、公私ともにお付き合いいただき、
お互い、子供を持つ親として親同士の話などもすることも多かった。
(どこどこの学校が良いかとか、将来、息子<手塚 眞氏>の仲人をしてくれ、とか。
もっともご本人はそれを嫌がって(笑)?先に出てしまったが、
世の親というのはいつの世もそういう話題で盛り上がるものなのです)

非常にご多忙にもかかわらず、一緒にディズニーワールドへ2週間出かけたことも。
「右の手にミッキー、左の手にドナルドダック、な世界を味わわせて差し上げます。
一緒に出かけませんか」とお誘いしたのだった。
旅先でも部屋に帰ると、ペンを握って作品に取り掛かっておられたのを思い出す。

氏の作品にはヒゲオヤジはじめ、同じ人物が違う設定で登場することが多い。
きわめて映画的である。
ほぼ同世代である自分としては良く分かるのだが、
戦後、それまで輸入・上映が禁止されていた欧米の映画が一気に日本に入ってきた。
当時はコピーフィルムが沢山あるわけでもなく、映画館では日替わり・週代わりで
新旧いろいろな作品を上映していたのが楽しかった。

すると、当時威風堂々・貫禄十分の大スターの俳優・女優さんが、
それこそ無名の若造でチョイ役時代の作品がその後にかかったりして面白かった。
だから、自分の頭の中には何人もの同じ俳優さんがいる。
氏の作品も、各キャラクターを役者さんと考えると、まさに映画だ。

(続く)

しげぞー
  


2008年04月02日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(4)各地映画祭巡り

手塚治虫FILMS2008 レポ①



「手塚治虫生誕80周年記念 手塚治虫FILMS2008」が、
3/19(水)~25(日)の5日間、横浜ランドマークタワー5階、ランドマークホールにて開催されました。

当ホールでは毎月3日間、優良な映画を上映するイベントをしていますが、
今回は、日本そして世界の漫画・アニメ史上この人なしでは語れない、
という「巨匠」手塚治虫さんの生誕80周年を記念して、
その拡大版として開催されたものです。

期間中は会場内のホールでふだん見る機会のほとんどない、
数々の氏の貴重な作品群 (テレビ、映画から、実験的なパイロット作品まで)を上映するとともに、
フリースペースでは氏の生涯を作品紹介をおりまぜた年表で紹介、
更にこれまた貴重な氏の遺品(ペンなどの筆記具)や作品の原画、直筆原稿、セル画などが展示され、
手塚ファン、漫画・アニメファンにとっては夢のような空間となっていました。

直筆原稿は裏表から透かして見ることができるようになっており、
作品をよりよいものにするためには妥協を許さなかった氏の姿勢をあらわすように、
最初の絵・台詞から上に紙が貼られている様子までも分かりました^^。
登場人物すら、より効果的な人物に差し替えられていたり・・・)
関連グッズも多数販売されていました。

イベントの中でもスペシャル企画として用意されたのが、お二方によるトークショー。
その1は3/22、漫画家・浦沢直樹氏(『YAWARA!』などで有名)による「手塚アニメはイチゴ味」、
そして最終日3/25、最後を飾る企画となったのが大林宣彦氏のトークショー
「いがぐり頭の テヅカオ、サムシ お兄さんのお話」、
そして大林セレクションとして劇場版> 『ブラックジャック』(96年)が上映されたのでした。

前置きが長くなりましたが、次回から大林監督のトークショーについてさらっと?ご紹介します。
(続く)

しげぞー


追伸-管理人ひがしざわですが、4/2-9日まで不在となります。
その間のコメント等の返信が滞るかもしれません。
ごめんなさい。
お休みを頂く日もあるかも知れませんが、しげぞー様による素晴らしいレポを
何日かに渡って掲載させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。

  


2008年04月01日 Posted by ひがしざわ  at 09:00Comments(0)各地映画祭巡り