ながのまちあるき 松井須磨子のふるさと 旧清野村編 ②

川中島合戦で有名な妻女山に向かいます。



屋代線も妻女山に沿ってカーブしています。

説明によると
-標高546メートル、松代南西に突き出た山。
永禄4年(1561)、川中島合戦の際、上杉謙信がここに本陣を置いた。
謙信は海津城から立ち上る夕食の煙が多いのを見て夜襲作戦を見破り、一気に山を下り、
千曲川「雨宮の渡し」を渡り、信玄本陣を急襲したという。
両雄一騎打ちの名場面はこの時と伝わる。-

戦国時代の両雄がぶつかった激しい戦いの「川中島合戦」は多く映画化、テレビ化されており
ここはハイライトシーンで登場しますよね。



妻女山のふもとの「会津比売命神社あいづひめのみことじんじゃ」を訪ねます。
入口には芭蕉の句碑「秋日塚」があります。
松代はたいへん俳句が盛んだったそうで、古い句碑が多く見られるそうです。


“赤々と 日はつれなくも 秋の風”

-会津比売命神社は妻女山麓にあり、文政5年(1471)年建立。
岩野の産土社で、祭神会津比売命は健御名方命(たけみなかたのみこと)の孫娘と伝えられている。
地域産業の発展を祈念して五穀をつかさどる保食神(うけもちのかみ)を合祀。-

平成5年に境内に接して上信越自動車道が開通したため、改築され現在の社殿になったそうです。





社殿下には「上杉謙信の槍突きの清水」があります。



そしてその先の登山口には「槍尻の泉」があります。



上杉謙信槍尻の泉

-永禄4年(1561)、川中島合戦の時、妻女山に陣を置いた
上杉謙信は戦いの勝利を神仏に祈願するため、
時折麓の会津比売命神社や岩野村にあった聖観音菩薩像に赴いていた。
ある日のこと、帰途についた謙信はあまりに喉が乾いたので馬から降り、
家来の直江山城守に、「槍を貸せ!」と命じ
「妻女におわすよろずの神よ、我に湧き水を与え給え!」と地に伏し、一心に祈り、
そしておもむろに立ち上がって空高く槍をかまえ、「えい!やっ!」と地面に槍の石突で
強く突いたところ、そこから勢いよくきれいな水が湧き出したのである。-

現在も綺麗な冷たい水がこんこんと湧いていました。

続く  


2010年07月29日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)松代まちあるき