おのみちまちあるき。。。第42話「あの時代の痕跡が。」

おのみちまちあるき。。。第42話「あの時代の痕跡が。」

正面真ん中にある巨石に何か違和感が。
そう、「元・石碑?」です。 



ちょっと分かりにくいので近づいてみましょう。
左には小さめ、右には大きめに石の表面が加工されています。
文字の書かれているのが分かりますか?
回転すれば一目瞭然。薄くはなっていますが
「軍」そして戦前風に右から読むと「馬」「犬」「鳩」という文字です。



これは戦前から戦中に作られた「軍馬・犬・鳩慰霊碑」。
人間が引き起こした争いで、国家、いや軍のために
命を捧げた動物たちの慰霊碑と思われます。

軍馬 (騎兵の乗馬、大砲などの牽引、荷物運びなど)
軍犬 (軍用犬/捜索や警備、伝令など)
軍鳩 (伝書鳩)
と、数多くの動物が「人間のため」命を落としました。
部隊の顕彰(と戦没者の慰霊)を目的に記念碑を設けるように、
苦楽を共にした動物たちの慰霊碑をつくることがあったようです。東京、
靖国神社境内の「戦歿馬慰霊像・鳩魂塔・軍犬慰霊像」が有名ですが、
全国の護国神社にも同様のものがあるようです。

おそらく、下の部分にも由来や建立者名など記述されていたのでしょうが、
戦後、民主化の流れのなかで、「黒塗りの教科書」のように、
戦前の日本を肯定する(と思われる)ものを排除する動きから
石碑は倒され碑文も削られたと想像します。

見晴亭の前にあるオベリスクのような巨大な石塔「英霊塔」にも
歴史があるようです。
建設されたのは大正5年。日露戦争で亡くなった方をお祀りした
「忠魂碑」だったのですが(建立者名が「大和敬一郎」と彫られています。
実在の方か架空の名前かは分かりませんが、後者のような気がします。)、
これまた戦後の状況変化で記述が一旦削りとられたようです。
その後、昭和40年、改めて文章が彫られました。
元首相・吉田茂氏の名が。





天寧寺三重塔上から「梟の館」下を通り艮神社に続く道ぞいには
岩肌に小さな穴が穿たれています。
防空壕址だそうです。
空襲は受けなかった尾道ですが、軍都広島や軍港・呉に近い尾道、
備えは怠らなかったのでしょう。
かつての記憶をなくさぬよう現状を維持してゆくという決意の説明書きとともに、
石の梟像とお賽銭籠が設けられています。
(広島に原爆が投下された際には、線路を歩いて逃げてこられた方が、
数多くこの尾道あたりで力尽きたとのお話も耳にしました。
東尾道駅近くの工業団地には、原爆犠牲者の方の慰霊碑が残っています。)



しげぞー  
タグ :尾道石碑


2009年06月12日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき