おのみちまちあるき。。。第46話「国宝のお寺、浄土寺。」後篇

おのみちまちあるき。。。第46話「国宝のお寺、浄土寺。」 後篇

江戸時代になると、浄土寺は一般民衆の信仰中心の寺院に大変身し、
豪商の外護を受けるようになりました。
お堂の改築や、京都の伏見城から本願寺、
更に向島の商人富島家(屋号・天満屋)を経て
移築されたお茶室「露滴庵」などがその証拠です。
境内を細かく見れば、お堂や塔、石仏、
石の細工1つ1つにもいわれがありそうです。



境内東側のお地蔵様。
鉄笠をかぶっておられるのですが、なぜか宙に浮かせてまるで天使の輪。
わざわざバンダナ風の支柱をたてています。
なぜでしょうか^^。
そして・・・。




多宝塔の石段、下から2段目に丸いくぼみがあります。
雨だれの穴ではありません。
「盃状穴」と呼ばれ古代祭祀の研究家の間ではよく知られるものだそうです。

盃状穴は神社境内の置き石や手洗鉢の縁、灯籠の台石、
狛犬、港の常夜灯などに彫られた小さなくぼみ。
直径も深さも1~3cmほどで小さな盃状の形なのでこう呼ばれます。
弥生時代の遺跡や古墳の石棺の蓋からも見つかり、古代信仰に関連があるのでは、と。
ここにお神酒を注いだり、油を入れて灯明を灯し、
子孫繁栄・五穀豊穣を祈るなどの風習があったといわれますが、
真相はナゾです。。。

浄土寺ばかりでなく、あの御袖天満宮の境内にも盃状穴が見られます。
似た石台が3つあるのですが、なぜか牛の石像前の1つだけにくぼみが。
いわくありげですね^^。






かつて数多くの末寺を持っていた浄土寺。
その1つ「吉祥坊」の石段が、防地口から浄土寺に向かう道の脇に残っています。
時代を経てお堂などありませんが、
奥まった住宅へ続く石段だけが今も歴史を語っています。



吉祥坊といえば・・・「姿三四郎」のモデルで講道館柔道4天王の一人だった
西郷四郎氏に触れなければなりません。
彼は病気療養で来ていたここで、大正11年生涯を終えました。
吉祥坊跡地近くに銅像が建てられています。



しげぞー  


2009年06月26日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)おのみちまちあるき