第23回高崎映画祭 その②

そして、司会者の「脚本では、クラムボンと宮沢賢治が特に印象的だった」という話に
監督は

7編全てを2時間に詰め込んだら本来映画にならない。
でも、昔はそういう映画がたくさんあった。
初めは訳がわからず、どうなるのかと思って観ているうちに、
最後には一つにまとまっていく。
そんな映画は、今どきなかなか作れない。
なぜなら、テレビが主流の現在、訳がわからないとチャンネルを代えられてしまうので、
いつでもストーリーは理路整然としていなくてはならない。
でも、今回は「訳がわからないけど、2時間たったら分かる」昔のような映画を創りたかった。

そこで、脚本の市川森一さんには、
「テレビ局で書いたら二度と仕事が来ないような、映画らしいシナリオを」とお願いした。
そうしたら、原作小説ではわずか17行しかない
宮沢賢治の「永訣の朝」で7編をまとめてくれた。
原作に登場するギター弾きの街頭ミュージシャンを、
宮沢賢治の妹である“とし子”と名前を変え、
チェロで「永訣の朝」を弾き語りさせた。
また、主人公の妻の名前も和美から“とし子”に変えた。
これには、さすがに小説の主人公の名前を変えるのは申し訳なかったので、
重松さんに伺ったところ、快諾してくれた。

ただし、「大林さん。いまの40代にとし子なんて名前の人はいないですよ」
とアドバイスを受けたそう。
そこで、親父が宮沢賢治の大ファンで勝手に娘の名前を付けた、という設定にした。
それが、孫から
「おじいちゃんが、“とし子”と名づけたからママは死んでいくの?」
につながった。
娘の死を描くこと。
ましてや、それで観客を泣かせてお金を儲けようとしたらバチがあたる。
監督自身、実はこの作品を描くのが初めは怖かったそう。
だけど、「親父のひいては自分自身の贖罪の映画」にしたら、
自分の映画として創れるようになった。
結果、泣きわめくシーンなし、歌っている間に死んでしまう、
余計なことで泣かせない映画ができた。


(上映会場となったコアホール)

司会者の、大林監督の作品は、前回の『転校生さよならあなた』もそうだったが、
その瞬間をふっと外して描くことによって、逆にむしろ強烈に胸に響いてきます、
との感想を受けて

「映画の面白さ」とは「不思議なもの」にある。
考えながら、分からないからこそ、皆で語り合いながら観れる。
かつての映画は、観るたび語るたびに違う印象を受けた。
今の映画は、一回観てわからせないといけない。
これでは、映画としての深みが足りない。

『その日のまえに』のコンセプトは、まず「不思議なもの」。
不思議だけど、観客が考えたいこと、見たいことをそのままやってみようと創った。

例えば、最後にとし子が戻ってくるシーン。
普通なら怒られる。
ホラーになってしまう。
でも、観客の夢や願いをスクリーンに登場させるのが映画の夢。
死と生を映画として描いてみたい。
だけど、これは冒険だった。編集してもうまく繋がらないし。
でも、恭子さんの「繋がらなくても良いから、最後にいれておいて」のひと声で決断した。
“不思議な映画”だからこそ、一生語り合ってほしい。
それが、映画の力・深さなのです。

また、話題は冒頭の“かもめハウス”におよび…。
『その日のまえに』を創るにあたり、スタッフたちには
「今度の映画は、誰にも誉められないよ」
と言うことを覚悟してもらいたいと思って、
「今度はHOUSEをやるよ」と伝えた。
そして、現場に行ったら、あの“かもめハウス”があった。
パロディーと言うのは、監督がやるものではない。
スタッフが勝手に楽しんでやってくれるもの。
自分は、それをありのまま作品に映すだけなのです。


(アヒルと鴨の…)

大林監督の映画を観ると、誰かのことを想ったり、誰かと語り合ったりしたくなる。
心に残る映画ばかりですね、と司会者。
続いて南原清隆さん、永作博美さんのキャスティングについての話にうつります。

続く

りょう  


2009年04月16日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)未来に紡ぐ