トークin深谷シネマ 第3話:<ヒア・カムズ・大林サン>



上映後、客電が点きトークイベント開始です。
スクリーン前に小さな椅子がセットされ、
司会の深谷シネマ・横山さまのご紹介で大林監督ご登場。
拍手のなか、いつものように白いスクリーンに手を上げて一礼されます。

(お話の内容をざっとご紹介しましょう^^)

今日は「その日のまえに」を観てくださりありがとうございます。
「映画を作る」といいますが、撮った映画を皆さんが
心のスクリーンで映していただいてようやく映画になります。
今日も、私の好きな深谷シネマで私たちの映画を映画にしてくださった
皆さんのお顔を見たくてまいりました。
昼間、高崎映画祭でご挨拶し、桜を眺めながらこちらへやってきました。



この映画は4年前発売され大人気になった、
日本を代表する小説家・重松清さんの作品。
家内から「この本読んでみて」と渡され新幹線の中で読んでいたら
泣きじゃくって「一体何事?」と皆にじろじろ見られて(笑)。
内容にも勿論感動しましたが、それ以上に小説の書き方が大好きなんです。

最近の小説は映像になりやすく具体的に書かれています。
「彼女は黄色いスーツを着ていた」と書いてあれば、
黄色いスーツを着せればお客さんも「小説通り♪」と納得。
ところが重松さんは何も書いていない。
着物か洋服か、スーツかパンタロンか全く分からないので映像になりにくい。
「黄色いスーツが良い」と私が言ってもキャメラマンは「青のほうが。」
照明は「白にしてもらえれば照明で色を当てますよ。」
皆で検討して結局黄色いスーツにしたとしても
映画館でスクリーンにかかるとまた大変。
お客さんもそれぞれ頭の中で着せているから
「黄色いスーツ?青でしょ!この映画嫌い!」
となるのでリスクが大きいんです。

でも私はそういう小説を映画にするのが大好き。
モノクロームの映画、黒白
(白黒とおっしゃらないところが大林監督らしいですね:しげぞー)
は黄色か青か黒かよく分からない。
でも観る人はそれぞれ自分の色にしている。
つまり想像力がいるわけです。
重松さんに理由を聞くと「小説は白い紙に黒い活字で印刷しているだけで元々色はない。
色は読者の方がつけてくださればよい。
唯一、ひこうき雲の伸びる空のきれいな青が引き立つといいな、
とだけ思っていました。」と。



情報時代、情報が多いほど親切と思れるなか、
極力書かず読む人が想像力で好きに読んで、という原作が大好き。
赤川次郎さんは犯人すら決めず推理小説を書いてしまう。
事件があり人がいるといつの間にか犯人になるべき人が
見つかりそれを書くのが小説だと。
つまり、どこかで運命の糸がズレて失敗すると結局罪を犯してしまうので、
最初から悪い人などいない、普通の人が何かズレて
犯人になってしまう悲しみを描きたいから、
犯人を最初から決めて書くようなことはできないとおっしゃる。

この小説を映画にしたいとラブレターを書き切手も絵で描き、
事務所が近所だったので自分でポストに投函。
最近は出版時から映画化が決まっている作品も多くダメかな・・・
と思っていたら「会いましょう」と。
既にドラマ・映画含め8社から申し込みがあったそうだが、
この作品は短編7つで1冊、主人公が少しずつかかわり、
最後の3篇が和美という奥さんとご主人の話。
いずれもこの3篇だけで約2時間の映画にしたいという申し出だったとか。
原作者は7編で作った以上全部映画にしてほしいが
普通に全部やると4時間を超えるし、
2時間にするには全部かき混ぜわけが分からなくなる・・・。
そこにきて私は7編全部やると話したので、では、大林さんやりましょう、と。

重松さんは人の不幸や病気で亡くなる人のことを悲しみ
観客を泣かせてヒットして・・・という、
今流行の<泣きの涙の難病もの>にはしたくない想いもあったそうです。
映画も商売である以上そういう方法がいけないとは言わないが、
私もそういうことのできない「たち」の人間なので。
(そして葬儀の遺影がよい笑顔である理由、重松さんの見解について。)



重松さんは「転校生」「時をかける少女」で育った世代であり
大林監督は大切な方だがもう70歳。
枯淡の味で旅立つ人を淡々と送る作品にされては困るとも思ったが見ると切手が絵?
こんな子供のようなことをする人ならきっと、
明るく楽しい映画にしてくれるのではないか、と思ったそうです。
また、こんなことも。
「今すぐだと原作人気でヒットさせようとしているようで嫌でしょう(笑)。
3年も経てば僕も次の小説を書き、皆この小説を忘れますから、
それから映画にされては?」と。
私も「世の中が皆忘れて、重松さんの次の小説がベストセラーに
なったころやりましょう。」と3年我慢し、去年の今頃から作り出したわけです。

映画をご覧になり「私が小説を書く時は、泣いていたら書けないから泣かない。
でも映画は良い。
夫が花火のなか歩きながら妻に逢いたいと思う。
小説でこれを描いたらホラーになってしまうので妻は死んだら死んだきりです。
でも映画を観ていると妻が帰ってきた!
観ていたら嬉しくて泣けて・・・
映画はそういうことができるんですね。
妻が鏡の前で一人泣くのも小説では悲しいシーンになるので書けなかった。
でも映画で観ると、悲しいけれど一所懸命生きようとしている姿も同時に映っている。
僕は映画から「その日のまえに」をもう一度小説化してみたくなりました(笑)」と。
小説家と映画作家はものを作るもの同士、
得てして張り合ったりぶつかったりすることもありますが、
今回はとても幸せな出会いでした。



続く

しげぞー  


2009年04月24日 Posted by ひがしざわ  at 08:00Comments(0)各地映画祭巡り